そんなA氏の働きぶりについて、H大学の関係者はこう話していた。
「大学には毎日来ていますよ。個室をあてがわれていて、だいたい昼くらいに来て、新聞を読んで2時間くらいで帰っていきますね」
具体的な報酬の額まではわからないが、あの慌てぶりから想像するに、決して安い額ではなかったのだろう。結局、このOB同士のポストの奪い合いによってA氏は顧問の職を解かれ、のちに任意団体の代表に就任。大学関係の人脈を生かし、しばらくは私学向けの経営セミナーなどで金集めに奔走していたようだ。
さて、一連の問題でクローズアップされた「文教協会」の役員であるB氏も旧知の仲だ。地方大学の事務局採用という典型的なノンキャリアだが、「国会連絡室」の室長として官僚と国会議員とのパイプ役を担い、文部科学大臣の政務担当秘書官を務めた経歴を持つ。
B氏をよく知る関係者はこう評する。
「交渉力に優れ、政治的なセンスも抜群だった。文教関係の団体からの陳情や要望を手際よくさばき、大臣の信頼も厚かったそうです。当然、大学側からは補助金の上乗せを頼まれることもあったでしょうね。この秘書官時代に全国の大学にパイプを築いたんです」
かくいう筆者もB氏の人脈に救われたことがある。
「大学院で博士号を取ったが、就職先がない。先生のお力で何とかなりませんか」
ある時、こんな相談が議員事務所に持ち込まれた。下手を打てば大ヤケドしかねない「口利き」は秘書の“汚れ仕事”である。さっそくB氏に相談すると、ある関西の大学名をあげて、
「いいですよ。理事長を知っていますから当たってみましょう」
と嫌な顔ひとつせずに快諾してくれたのだ。
内閣官房の調べでは、13年4月以降の3年間で、50人以上が文科省から大学に再就職している。B氏が「文教協会」の役員として、あっせんに関与していたとしても不思議ではない。
天下り先は大学とは限らない。教育従事者向けの共済組合もうまみのある受け皿の一つだ。前出のB氏も「文教協会」に入る前に理事として在籍していた。
「共済組合では週に2回ほどの勤務で年間1000万円近い収入を得ていたと言われています。また、数年間勤めた組合を辞める際にも、ほぼ同額かそれ以上の退職金を手にすることができます。こうした“ワタリ”を繰り返して、退官後に5000万円以上の収入を得ることも珍しくはありません」(共済組合関係者)
キャリア組のトップ官僚ともなると、天下り先の“格”もだいぶ違ってくる。
「事務次官クラスの天下り先といえば、放送学園大学の理事長職が定番でした。80年代半ばから元事務次官が歴任し、その慣習は11年に御手洗康元事務次官がやめるまで続きました。同大学には文科省から年間約60億円の補助金がつぎ込まれていたこともあって、年額2000万円近くもの報酬が約束されていたと聞いています。また、文科省の外局である文化庁の長官は、退官後に国立科学博物館の館長に天下るのが通例でした」(文科省関係者)
国立科学博物館が公開した資料によると、15年度の館長の年間報酬は1929万円だった。
朝倉秀雄+週刊アサヒ芸能特別取材班