4月11日、夜8時過ぎ、白いワンボックスカーが葬儀場に到着し、清原が現れた。無数のフラッシュがたかれ、詰めかけた報道陣からやつぎばやに声を投げかけられたものの、無言を貫き、早足で室内へと消えた。
「焼香を済ませたのち、関係者に促されるまま、重い足取りでご遺体と対面しました。声をかけることなくただただ見下ろし、祈り続けるだけだった。わずか5分ばかりの滞在でした」(参列者)
翌日の告別式には前日同様、沈痛な面持ちで現れた。葬儀場左隅の椅子に腰掛けるや、一心に遺影を見つめ続ける。読経が終わり、参列者が思い出の品を棺に入れようと集まり始めるが、清原だけは微動だにしなかった。
「『A、ほら歌えよ』と、別の参列者から震えた声が投げかけられるや、たまらず視線を外す瞬間もありました。とはいえ、死への負い目を感じているのか、献花になっても立ち上がろうとはしませんでした。『時間が迫りましたので』とアナウンスが流れるや、関係者に促されて棺に近寄り、渡された白いユリを投げ入れると、すぐさま離れていきました」(前出・参列者)
2日間にわたり、感情を押し殺していた清原だが、ついにせきを切ったかのように悔恨の涙を流したのが冒頭の出棺の場面である。
出入り口付近で見送っていたため、報道陣が一斉にフラッシュを浴びせた。それでも身を隠すことなく、ただ涙を流し、嗚咽を漏らすばかりだった。
遺書もなく突然の死を迎えたI氏だが、実は清原にだけはメッセージを遺していた。糖尿病の手術を行って以来、「やり残したことはいっぱいあるけど、十分苦しんだし、楽しんだ。いつ死んでもいい」と語る一方で、親しい人間に「万が一の時は──」と遺言を伝えていたというのだ。
「『戒名には自分とキヨさんの名前を入れてほしい』と語っていたんです。遺族もその遺志をくんで、2人の友情を示すように戒名には『A輝清』という順番で文字が入っています。このエピソードを清原さんは知らされていないのですが、全てを支えてくれたIさん亡きあと、今度こそ再起してくれるでしょうか」(I氏の友人)
最大の支援者であった親友を失った今こそ、男気を見せられるか、清原の真価が問われている。