私生活をもさらけ出して生きてきた元祖アイドルと、母に促されるように芸能界へと飛び込んだ娘。当初は“一卵性親子”と呼ばれるほど仲むつまじく見えたが、今ではお互いがライバル心を剥き出しにする絶縁状態となっていたのだ。祝い事を前にしても続く、根深い母娘修羅バトル。もはや修復不能の全容をスッパ抜く!
〈ご報告したかったタイミングではなく心苦しい気持ちもありますが、わたくし神田沙也加は村田充さんと結婚いたします〉
4月26日、「スポニチ」が1面で神田沙也加(30)と9つ年上の俳優・村田充の結婚をスクープすると、その直後に沙也加は自身のインスタグラムを更新。お相手の村田と父・神田正輝(66)とのスリーショット写真を掲載して電撃婚を認めたのだ。ワイドショー芸能デスクが説明する。
「30日まで大阪の舞台で公演中だった沙也加は、当初は千秋楽後に結婚を発表する段取りだったようです。報道によって発表することになったのは不本意でしたが、報道翌日にマスコミから直撃されると、さすがに村田とのエピソードをうれしそうに報告しています。しかし、母・松田聖子(55)に結婚の報告をしたかという問いには一切返事がなかった。その後、正輝が『孫の顔を見たい』とうれしそうに語っていたのに対し、聖子は一貫して沈黙したままというのは明らかに不自然です」
「聖輝の結婚」と騒がれた85年の結婚翌年に誕生した一粒種の沙也加が嫁にいくというのに、聖子が祝辞一つも出さない異常事態となっているのだ。ベテラン芸能記者がデビュー前の沙也加の境遇について語る。
「表向きには仲よし親子の印象が強いですが、聖子は沙也加を出産した半年後には芸能界へ復帰し、実質、子育てを担当したのは、同居する聖子の母でした。しかも聖子が無謀な全米進出をもくろむのと並行して、年下外国人とのスキャンダルがたびたび報じられた。当時、幼稚園に通っていた沙也加は、母親の醜聞が報じられるたびに『聖子の娘!』とイジメを受け、引きこもりになっていた時期もあった。本人もデビュー後に、自著の中で『学校を4回も転校しなければいけなかった』という苦しい胸のうちを明かしています」
結婚して10年もたたない94年には、愛人・ジェフに赤裸々な暴露本まで出版され、聖輝のカップルは風前のともし火。それでも別居生活をマスコミにかぎつけられると、聖子はすぐさま本来の自宅に帰っていた。
「報道陣の前に現れ、『皆さん、どうしたんですか?』と平然を装い、“別居していない”ことをアピールして仮面夫婦を演じていました」(前出・ベテラン芸能記者)
しかし、結局は別の外国人ダンサーとの浮き名を流した末の97年、ついに神田との離婚が成立。その翌年に年下歯科医とわずか交際2カ月で「ビビビ婚」を果たし、世間をアッと言わせた。聖子を知る芸能関係者が内情を明かす。
「一方の沙也加は母に振り回された末、継父とともにロスの日本人学校へ留学。その際、現地のオーディションに通って短編映画に出演すると、作品自体が01年のカンヌ国際映画祭で高く評価されたこともあって注目されたんです。そのとたん、聖子が日本に呼び戻して、『SAYAKA』名で芸能界にデビューさせた。ふだんから『私のことをプロデュースできるのは私だけ』というのが口癖でしたが、娘のプロデュースも全て聖子仕様でした」
みずからのステージに娘を上げ親子共演するなど、聖子ブランドで売り出したものの、ママドル聖子の七光り恩恵は長続きしなかった。