彼女にはもう一つ大きな悩みがあった。
それは、同棲していたダン池田氏との結婚問題だった。池田氏とはもちろん、「ダン池田とニューブリード」で活躍した、ジャズのビッグバンド・マスターである。
「知り合ったのは昭和51年か52年かな? ボウリング場でショーがあったの。その時のバンドの先生だった。すてきな人だなと思ったら、『プロフィール持ってきなさい』と言われて、相談に乗ってもらってるうち一緒に住むようになったわ」
彼には夫人がいた。そして、この関係は当時、週刊誌の話題にもなった。それでも二人は、なんと彼女の故郷で仮祝言をあげたのだ。愛田ママは「涙の祝言だった」と話すが、はたして破局を迎える。
「池田先生とは4年間同棲したけど、奥さんが離婚届に判を押してくれない。もう待てなかった」
歌手をやめる決心はできたが、歌は好きでやめられなかった。
そんな彼女に、池田氏の仲間がバンドで入っている店を紹介される。歌舞伎町・風林会館の向かいにあった高級クラブ「ナポレオン」。ステージで歌い、席で接客もする。
ここで4年間無欠勤で働き、しっかりためて独立した。
彼女がクラブの開店を決意した80年の8月、歌舞伎町の区役所通りに「星座館ビル」が竣工する。
オシャレなビルは分譲と賃貸だった。幸いにもオーナーはママと懇意にしていた歌舞伎町の著名な社長。独立の決意を聞いた社長は二つ返事で店の分譲にローンを組むという彼女の連帯保証人になってくれた。
結果、愛田ママは30年の支払いを6年で返済している。ところで、下世話な話だが、男と別れる時には手切れ金が出るのが普通。店の資金はダン池田氏から出なかったのだろうか。あれだけ売れていたミュージシャンである。少し間を置き、愛田ママは答えた。
「池田先生、お金なかった。でも芸能人やテレビ局の方とかたくさん連れてきてくれたわ。『苦労かけたな』って。先生は私には神様みたいな人で、尊敬していた。別れてからも10年ぐらい店には来てくれたわ。“俺の店だ”って感じで態度は大きかったけどね。今でも感謝している」
池田氏は07年12月25日、急性呼吸不全のため72歳で亡くなっている。ママに結婚歴はない。「南部美人」をオープンしてからはお店一筋だった。
80年11月15日、店のオープンの日にはたくさんの有名人がやって来た。柔道の山下泰裕氏や斉藤仁氏も顔を出したという。
そして今年11月、新宿のホテル「ハイアットリージェンシー東京」に百数十人が集まり“「南部美人」37周年感謝の集い”が催される。ますます意気軒昂な愛田ママはこう話す。
「かつて歌舞伎町にはハングリーさにあふれた人がたくさんいた。よほど根性がないと溶けて流されてしまう時代だった。今は代が替わって、安直さが求められているように思う。若い人を引き付ける魅力も薄れているんじゃないかな? 歌舞伎町の魅力は一口には言えないけど、いつまでも心の故郷でありたい」
歌舞伎町には多種多様な人々が集まり、夢、活力を与え続けてきた。一方で、2020年にオリンピックを控え、浄化作戦が加速しているように見える。それでも、“歌舞伎町は他の街とは違う”。そう感じ、この空気を愛する人が集まる街であり続けることを願う人は多い。
そんな街だからこそカリスマは生まれてきたのだし、これからも生まれてくることを願いたい。
笹川伸雄(ジャーナリスト)