思えば、10年程前、
「これだけネットなんかでじゃんじゃん好きなもん見られる時代なんだから、どんどん好きなものが細分化されてよ、これからはライブの時代になるんじゃねーか」
と、“ネットで好きなものを見つけては、それらを見に足を運ぶ時代になる”と、さらりと言われていました。さらに、
「そこで俺だよ! そのうちタップとピアノのショーをやって、かっこいいジジイになってやろうかと思ってよ」
確かに、この時期の殿は、仕事が終わればほぼ毎日2時間、熱心にドカドカとタップダンスの稽古をされていました。で、当時、仕事などまったくなかったわたくしは、タップの稽古にほぼ皆勤賞でしたが、殿によく聞かれた質問の一つが、
「お前、次の単独ライブはいつだ?」といったものでした。そんな質問に、“何月何日、どこどこでやります”的な答えを返すと、
「チケットは売れてるのか?」
「どんなネタをやるんだ?」
と、毎度やたらと興味を示され、その流れで、
「今はもうキャバレーの営業なんてないんだろ? 俺たちの頃は寄席に出るかキャバレーなんかの営業でネタをかけるしかなかったからな」
と、“ツービート無名時代のキャバレー営業話”を、ポツリポツリと聞かせてくれたのです。
「たまに入るキャバレーの営業が嫌で嫌でしかたなかったけどな」
「あの頃はキャバレーの全盛期だから、どこ行っても仕切ってる支配人が嫌な野郎でよ。『ちょっとネタ見せてみろ』なんて偉そうにしてんだ」
「また俺たちがキャバレーの営業が下手でよ。これがウケないんだ」
とにかく殿は、キャバレーの営業が苦手で、ウケた記憶がなく、大嫌いだったそうです。
「だけど当時の演芸場のギャラが2人で1500円だよ。キャバレーだと、とっぱらいで1万か2万はもらえたんだから、嫌でもしょうがねーよな」
と、“殿もそんな時代があったんですね~”と、つくづく感慨深くなることしきりの話をされていました。
で、“無名時代の地獄の営業話”の際、決まって殿がされる話があります。
「1回あれだよ。北海道のキャバレーに2日で4ステージの泊まりの営業に行ったら、全然ウケなくて、初日でクビになったんだよ。そしたら俺らの代わりに先輩の芸人が東京から呼ばれて次の日に来たんだけどよ。その先輩もその日のうちにクビになって、相棒と先輩と3人で、無言で東京に戻ってきたことあったな」
静かに東京へ帰る3人の姿を想像すると、なんとも切ないお話です。殿は、こういった“かつての営業話”をされると決まって、
「まーたまたま売れたからいいようなものの、売れてなきゃ地獄だよ」
と締めるのでした。
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◆プロフィール アル北郷(ある・きたごう) 95年、ビートたけしに弟子入り。08年、「アキレスと亀」にて「東スポ映画大賞新人賞」受賞。現在、TBS系「新・情報7daysニュースキャスター」ブレーンなど多方面で活躍中。本連載の単行本「たけし金言集~あるいは資料として現代北野武秘語録」も絶賛発売中!