70年代から80年代にかけ、トップモデルとして、また女優として輝きを放った中島はるみ(57)。唯一の一糸まとわぬ姿を見せた映画には、思いがけないドラマがあった。
──実は週刊アサヒ芸能で、89年公開の「文学賞殺人事件 大いなる助走」(アジャックス)で初めて脱ぐことを予見‥‥というか、アドバイスしているんです。
中島 えっ、そうなんですか?
──週刊アサヒ芸能が88年にインタビューした際、それまで脱ぐこととは無縁だったのに「五社英雄監督の映画だったら脱いでもいい」との発言を聞き出しています。
中島 そうですね、思い出しました。
──五社監督ではなく鈴木則文監督ではあったけど、インタビュー直後のクラインクインとなりました。
中島 当時、五社さんの映画で脱いだ女優さんは、そこから大きく飛躍した方が多かったですよね。
──故・夏目雅子、名取裕子、池上季実子、かたせ梨乃、西川(現・仁支川)峰子と、そうそうたる顔ぶれでした。
中島 私も女優として踏み出したかったんだと思います。
──それ以前の代表作といえば、刑事ドラマの金字塔となった「Gメン’75」(TBS系)の紅一点・吹雪杏子刑事役。
中島 実は体も硬いし、拳銃を持つ姿なんてまったく絵にならないから、9割は受からないでほしいって思ったんです。でも、意外とそういう時こそオーディションに勝つものだなって学びましたね。
──さて本題の「文学賞殺人事件」ですが、監督の印象はどうでした?
中島 いつも奥さんと一緒に撮影にいらしていて、映画が初めての私にも「好きにやってください」と、優しい監督でした。
──筒井康隆原作の本作は、タイトルにあるように「文学賞」を巡って、主演の佐藤浩市が不思議な人間関係に巻き込まれていきます。
中島 はい、私は佐藤さんを誘惑して、自分から全部脱いで、上にまたがっちゃうような大胆な女の役でしたね。
──緊張しました?
中島 とにかく無我夢中でやってましたから、緊張とは違ったかもしれません。佐藤さんとは世間話はたくさんしたけど、あえて濡れ場のことでどうこうは話さなかったと思います。
──トップモデルらしいダイナミックな肢体を生かした大胆なカラミと評判になりました。
中島 この映画は撮影から公開まで少し時間がかかったんですよ。公開直後に、いろんな作品のオファーが事務所に届いたとも聞きました。
──ところが、映画出演はこれっきり‥‥。
中島 はい、公開を待つ間に主人と結婚して、同時期に私の父親も病気になったんです。女優業と並行して家庭のことをやれないと思い、引退しました。
──最高のタイミングだったのに、残念でしたね。
中島 この映画の完成披露だけは顔を出しました。自分のベッドシーンは、恥ずかしくて手で顔を隠してしまいましたけどね(笑)。