竹澤氏はそんな刑務所の中で生きていくために、商売を始めることになる。
「最初にやったのは、タバコのバラ売りとドーナツの販売。1箱20本入りのタバコを刑務所内の売店で45バーツで仕入れ、2本5バーツで売る。これが1日60本ほど売れたんです。それを元金にして、あんこ入りドーナツを1日に15~20個作って売ると、けっこう売れるようになった」
さらに、タイで発行されている日本人向けフリーペーパー「DACO」で獄中記の連載をスタート。
「編集部に手紙を書いて支援を求めると、編集長が面会に来てくれて、獄中記を連載しないか、と。ギャラは1回1500円で、月2回。読者と知り合いになり、支援者もできて、日本の食材や古着、100円ショップで売っている商品を差し入れてくれた。特に、テレビ用の長いイヤホン(200バーツ)や、垢すり用タオル(80バーツ)は人気で、すぐに売り切れました」
14年12月、所内を特赦の噂が駆け巡った。王女が60歳を記念して、かなり大規模な特赦を行う、というのである。
そして16年8月31日、ついに朝礼で刑務所長から釈放を告げられ、竹澤氏は強制送還のため入管移送待ちとなったのだ。
「9月8日、夕方5時過ぎに空港に着くと入管職員から日本のパスポート代わりになる『帰国のための渡航書』を手渡され、『お前は99年間、タイへ入国禁止だよ』と言われた。てっきりジョークだと思っていたんですが、本当のようでしたね(笑)」
飛行機は定刻どおり、22時10分にスワンナブーム国際空港を出発。機内で14年ぶりに味わったビールの味は生涯忘れられないという。
帰国から1年。竹澤氏は現在、住み慣れた栃木県小山市に戻り、市内でタイ料理店開店のための準備を進める一方、自身の数奇な運命を赤裸々につづった著書「求刑死刑 タイ・重罪犯専用刑務所から生還した男」(彩図社)を出版した。
「私は自分が起こした罪で50歳から64歳までの14年間の時を失いましたが、東南アジアではドラッグが身近にあります。でも軽い気持ちで手を出せば、私が経験したような地獄が待っている。営利目的の密輸は東南アジアのほぼ全ての国で死刑の求刑がなされます。読者の皆さんも私のようになりたくなければ、絶対に手を出さないことです」
死刑求刑から奇跡の生還を果たした竹澤氏の言葉が重く響く──。