〈最後に確認しよう。われわれは“明日のジョー”である〉
70年3月31日に起きた「よど号乗っ取り事件」で、犯人グループが発した声明文である。当時の人気コミック「あしたのジョー」になぞらえ、燃え尽きるまで闘うことを誓っている。
同じように「いつかギラギラする日」という表題も、若者の焦燥感をとらえたタイトルに見える。実際には3人の中年男(萩原、千葉真一、石橋蓮司)が銀行強盗で得た金を若いカップル(木村一八、荻野目慶子)に持ち逃げされ、奪い返すまでを描いたストーリーではあるのだが‥‥。
このタイトルには変遷があり、深作と脚本家・笠原和夫が「仁義──」の直後に準備した「実録・共産党」が出発点だ。同作は諸般の事情により東映では見送られたが、映画界の風雲児となった角川春樹が「角川映画としてやりたい」と申し出る。
「タイトルも決めています。角川文庫で使っている河野典生の『いつか、ギラギラする日々』って小説の題をもらえますから」
この話も立ち消えとなったが、表題だけが松竹・奥山和由プロデューサーの手に渡り、オリジナルのシナリオでクランクインした。
もっとも、脚本家の丸山昇一と深作の打ち合わせをもとに完成していた準備稿を、深作の「やめよう」の一言で白紙撤回。丸山が「深作を殺してやる」と半ば本気でつぶやくなど、波乱の幕開けとなった。
また深作と萩原も、これまで映画で組む話が少なくとも4回はあった。企画段階で頓挫した「海燕ジョーの奇跡」などがそうだが、回り道の末に唯一の映画にたどりつく。ここで中年の強盗グループの主犯格に扮する萩原は、1つだけ注文を出した。
「まだ週に1回は通院しなきゃいけないので日数を聞いたら、75日で撮り終えると言うんですよ。クランクインが6月だから、梅雨がない北海道に行って撮ろうって。ところが深作さんが雨男で、荻野目慶子も雨女らしく、来る日も来る日も雨ばかりで‥‥」
結果、撮影日数は大幅に伸び、4億円の予算もすぐに底をついた。萩原が「Vシネマみたい」と揶揄したシンプルなシナリオだったが、壮絶なカーチェイスなどが全編を彩り、予算オーバーながら大作に仕上がった。とはいえ、当初の予定ならクランクアップ後に入るはずだった3本の単発ドラマを飛ばしてしまったと萩原は笑う。
「俺が責任を取るからハギよ、思い切りやってくれ。どこかおかしいと思ったら遠慮なく言ってくれ」
撮影中に深作は何度もそう告げた。萩原は、めったにいない頼れる監督だと思った。
「私にはいろんな恩師がいます。例えば神代辰巳は『見せてください』というタイプの監督。黒澤明は黙って座って見ている監督。深作さんはリハーサルはしつこいけど、こっちに対して踊ってくれるしセリフも歌ってくれる監督。どういうものが欲しいのか見える監督なので、私にはありがたかった」
黒澤、神代、深作、さらに恩地日出夫、今村昌平、熊井啓──長い俳優生活で萩原が知った名匠の共通項とは「弱い者いじめ」をしないことだったという。