グラビア界におけるレジェンドをあげるとすれば──童顔でたわわなバスト、そして大胆な水着と、男が望む全てを持って登場した細川ふみえ(46)だ。
──90年にデビューして、次々と雑誌のグラビアや表紙を飾りました。自身の写真が世に出回るのは、どんな気持ちでした?
細川 たくさんの人に求めていただき、素直にとてもうれしかったです。支持していただいたことは私の大きな力になり、強く支えられました。
──かとうれいことともにこの分野の草分けと呼ばれましたが。
細川 私にとってのれいこさんは特別な存在で、事務所の先輩であるばかりか、目下、大ブレイク中のスターさん!!という存在。すでに成功しておられる方のあとに続けるかもしれないという、夢や希望をいっぱいもらいました。
──まだ新語だった「巨乳」という表現には?
細川 グラビアデビューしたとたん、私のグラビアに確かに「巨乳」と書かれてありました(笑)。正直に言わせていただくと、そのキャッチフレーズをどう受け取っていいのか、と。かすかな怒り交じりの戸惑いというか(笑)。
──ああ、当事者としてはそうなんですね。
細川 もっと率直に言わせていただけるなら、愛を感じ取りにくかったというか。自分で自分を形容するために使うことは一生ないでしょう(笑)。その2文字を目にした瞬間、「この先、一生言われるのかな‥‥」と。腹をくくらざるをえない気持ちのような、芸能界で生きていくことの覚悟を突きつけられたような気がしたものでした。だから今となっては、感謝に近い思いです。
──そして、グラビア界に革命を与えた「眼帯ブラ」と呼ばれる小さな水着を身に着けた時は、どんな気持ちでしたか?
細川 講談社の「ORE」が私のデビューとなった雑誌で、編集長さんは「僕ら大人を信じてほしい。どんな水着であろうと着てほしい。あなたならば見た人全員の心をわしづかみにできるから。あなたならば!」と繰り返し繰り返しおっしゃっておられたことを昨日のことのように思い出します。
──まるで呪文ですね(笑)。そして「眼帯ブラ」とのご対面‥‥。
細川 現場でスタイリストさんから渡された“ソレ”は、とても水着とは言えないようなものでした。けれど、信じられる出会いがあったからこそ、勇気を振りしぼって撮影に臨めました。まさしく「命がけ」でした(笑)。けれども、どんな仕事もたぶん命がけなんでしょうね。
──約10年近くの水着グラビアの活動で、いちばん印象に残っている出来事は何ですか?
細川 写真集は隔月で出版させていただいた年もあったほどで、毎月のように海外へ3泊4日の泊まり込み。スタッフと寝食を共にして連日撮影。炎天下や、スコールに打たれたりしながら一丸となって作っている感じがとても好きでした。
──最後につい先日、同じ時代を生きたかとうれいこと番組で共演されたそうですが、どんなお話を?
細川 れいこさんとは長い間お会いしていませんでしたが、れいこさんのほうも気にかけてくださっておられたのか、時間の隔たりを感じることは不思議なほどなかったです。収録の前に楽屋に挨拶にお伺いした際、「変わらないね~」とおっしゃってくださいました。私のほうからはれいこさんに対する畏れ多い気持ちが大きく、ほとんど話しかけられなかったです。
──では、最後にひと言。
細川 変わらぬ応援に心から感謝しています。いただいた思いは必ずお返ししていきます。