90年代後半、男は笑いながら釘づけになり、女は誰もがマネをした。胸の谷間を寄せて「だっちゅ~の」と言うネタで一躍時の人となったパイレーツ。誕生秘話と意外な苦悩を、西本はるか(39)が語る。
突然のことでした。97年4月、当時の事務所社長から、「コンビを組んでもらう」と言われ、同事務所の(浅田)好未と組むことに。さらに急に「タモリのボキャブラ天国」(フジテレビ系)への出演も決まり、ネタ作りも課せられました。
ただ私たちはグラビアアイドルで、当然、お笑い経験はゼロ。そんな2人が作るネタがおもしろいわけがなく却下され(笑)、構成作家さんが考えたネタをやることに。それが、あの「だっちゅ~の」でした。
もともと2人とも語尾に「○○だっつ~の」とつけるクセがあり、それにグラビアでよくやる胸寄せポーズを融合して生まれたネタです。同時に衣装も、スタイリストさんに手作りしてもらいました。実はあの胸、寄せて上げてテーピングをして、相当盛っていたんですよ(笑)。
当時、番組に出演していた女性は、女芸人のモリマンさんくらい。そんな中、スタッフは「女っ気を増やすためにグラドルでも出してみよう」という軽い気持ちで出演させたと思うんです。それがまさか、これほどになるとは誰も思っていなかったでしょうね。
98年、「だっちゅ~の」は流行語大賞を受賞。一躍、国民的タレントにのし上がった。
登壇すると隣に「凡人・軍人・変人」の田中真紀子さんがいて、いつもの露出度の高い衣装を見て「あなたたち、そんな格好で寒くないの!?」と言われたことを覚えています。
その頃の休日は月1回で、1日に仕事が3~4本入ることもあるほど忙しく、毎日必ず「だっちゅ~の」ポーズをするので、腰を痛めたものです(笑)。
特に大変だったのが地方営業。ボキャ天メンバーと全国を回りましたが、ネタがない私たちは四苦八苦。ピンク・レディーを歌い踊り15分、つまらないネタ(笑)を5分、あとはトークや撮影会で埋め、なんとか30分の間をもたせていました。同時期に「私たち、お笑い芸人じゃないのに。グラドルなのに‥‥」という反抗心が芽生えてしまったことは内緒です(笑)。
そうして知名度が上がった実感はありましたが、フトコロ事情は変化なし。給料制で、2年間だけボーナスをもらった以外、芸能人らしい贅沢は一切していません。いつも電車移動でしたしね。「まあ、そういうもんだろう」と思っていました。のちに人に話すと「ぼったくられているよ!」と指摘されましたが、金銭感覚が狂わずよかったかな(笑)。
そうそう、ボキャ天メンバーのみんなは、年下でタメ口をきくような生意気な私たちにとって本当にいいお兄さん。特にしゃべったのが名倉潤さんで、高校生だった好未は、くりぃむしちゅーの2人から勉強を教わっていましたね。時にはお尻をペシッと叩かれたりしましたが、いやらしさゼロ。女性として見られていなかったんです(笑)。
好未とも、お互いのことをよく知っていたし家も近所で、プライベートでも仲よしでした。ただ、痩せていた好未と太っていた私とで、体型を比べられることが本当にイヤだった(笑)。以来、太ることが怖くてずっとダイエッターで、今も20歳の体重をキープ。当時のEカップは減っちゃいましたが(笑)。
最近も半身浴や腹筋は欠かさずしています。なぜそんなに頑張るか? いつでもグラビア復帰できるように、かな(笑)。