浜田光夫(74)との「純愛コンビ」が「解消」となって以降、長いスランプに陥って伸び悩んだ吉永小百合(73)に、三人の有名サユリストが「再生」の手を差し延べた。大御所作家、写真家、編集プロデューサーがそれぞれ極秘の「個人授業」を開き、個別に「講義」をしたのだ。例えば、大御所作家はホテルの部屋に小百合を呼び、バスローブ姿で待っていたり──。
しかしそれも功を奏さず、時を同じくして、小百合は声が出ないという病気に悩まされる。結婚まで考えた渡哲也(76)と破談したショック(パリに傷心旅行に行ったけど‥‥)、両親との確執、多忙によるストレス、そしてスランプ‥‥。原因はいくつもあった。
そんな時、「個人授業三人衆」に代わって登場した「救世主」が、小百合より15歳年上のテレビプロデューサー、岡田太郎だった。
小百合は声が出なくなってからいろんな人が心配し、様々な医者を勧められて、喉に注射を打ったりもした。だが、どこに行ってもはかばかしくない。必死に声を出そうとしていたが、吉永家のお手伝いさんが、小百合が出演するテレビ番組を見て「声が出てませんね」と言った言葉が胸に刺さった。なにしろ、「ハーッ」と息を吐く延長みたいな声なのだ。
小百合は旧知の岡田にも相談。すると、
「それは働きすぎなのが明白なんだから、休養するしかないだろう」
という慰めのアドバイスが。
小百合はスランプなのに、仕事は多かった。なぜなら吉永事務所はずいぶんと大所帯になり、スタッフが増員。彼らを養うため、輪転機のように働かざるをえなかったのだから、無理もない。
岡田の進言をきっかけに、体調不良という理由で休養を宣言し、ファンクラブを解散した。それはファンクラブ会員のために開催していた、小百合を囲む茶話会の場で発表したため、ファンに取り囲まれ、大騒ぎになった。
小百合は心を許すこのバツイチ年上プロデューサーと、半同棲生活を始める。渡との結婚が両親の猛反対にあい破談に追い込まれた苦い経験から、今度はその両親に決して知られないように──。
小百合は実家の他に、習っていた日本舞踊の稽古のため、という名目で、東京・三田のマンションに仕事部屋を借りていた。本館と別館があり、一方に小百合が、もう一方の棟に恋人が住み、2棟を結ぶ渡り廊下を通ってコッソリと行き来をする。当時のマネージャーは、小百合の両親に2人の極秘交際を隠し通す役目を担っていた。そして28歳で、ついに結婚にこぎつける。
中平まみ(作家)