例えば、「霧の子午線」。岩下志麻と「二大女優の共演」と銘打っているけれど、私は当時あなたに、付き人がいる前で、「岩下志麻と逆の役がよかったわね」と言ったのを憶えています。岩下志麻は新聞社の女デスクで、若いツバメがいる。あなたはただしょぼんとしておとなしいだけの役。それがつまらないと思ったからでした。
「北の桜守」もそう。戦争、艱難辛苦、奮闘努力、有為転変、波乱万丈‥‥そんな道具立てに乗っかっているだけではないですか。ただただ耐えて耐えて、悲しく哀れ。そればかりで押してくるんですから。決まりきった「顔」が好きなんですね。そういう役をやすやすと受け入れるあなたを、複雑な思いで見ていました。
そういえば、ある時、あなたは〈私に強さ、烈(はげ)しさは表現できないんです。無理なんです〉と書いたファックスを送ってきましたよね。あなたは女優、表現者でしょ。そういうことを言ったらおしまいじゃないですか。魔術師のように、いろんなものを出してくれないといけないのに。
いえ、全てがいけないと言いたいわけではないのです。
「天国の駅」で死刑囚を演じましたね。あれはとてもよかった。「女ざかり」もそう。新聞社の女論説委員の役で、母親らしからぬ奔放なキャラクターでした。愛人役の津川雅彦と、海辺のホテルで密会する。のびのびとしていて、これで小百合は甦ったなと思い、拍手していたんです。あぁ、もう大丈夫だ、と。ところがそれからまた逆戻り‥‥というか、むしろ急降下してしまったな、と感じています。
こんなこともありましたね。「青春の門」の一件です。
浦山桐郎監督が初めて日活以外で作品を撮ることになり、あなたに出演のオファーを出しました。その時、あなたはちょうど、結婚のドタバタ、両親との相克もあり、ずいぶんホッソリとした体だった。だからあなたは浦山監督に「自分の柄ではありません。これは倍賞美津子さんのような人が合う」と、断りに行きましたね。炭鉱の町の女の役は確かに、あの時のあなたには合わない。
ところが監督に「なんとか頼むよ」と請われて出演することになったら、案の定、似合いませんでした。原作を読んで、自分の役ではない、という分析ができるのは真っ当なことだと思います。でもやはり、受けてしまった以上は、もっとたくましさがないといけないのだと、私は思うのです。
中平まみ(作家)