13日以降、窃盗事件はピタリとやむ。
平尾受刑者は向島のとある「空き家」の屋根裏に潜伏し続けていた。のちに、他の空き家も使用していたと供述しているが、メインはここだったようだ。
平尾受刑者は、網戸になっていた1階風呂場の窓から侵入したと見られる。この家は年に数回だけ訪れる県外女性が「別荘」として購入・使用していた「元空き家」で、電気・水道は通っており、保存用の食料としてカップ麺やそうめん、冷蔵庫にはパンが入っていた。また、屋根裏にはトースターとテレビが持ち込まれていたことから、つかの間の快適な生活環境を手に入れていたのだろう。
テレビ報道では捜査がうまく進展していない様子が伝えられ、その窮状を、逐一、受刑者本人も把握していたのだ。
24日に近隣住民が勝手口の扉がなぜか開くことに気づき、異変を察知したが、平尾受刑者はこの日、別荘を脱出。実は別荘の近くには、近隣の海へと近づける山道がある。
犯罪ジャーナリストの小川泰平氏が言う。
「24日に脱出したのは、この日が雨だったからです。泳ぐと決めたからこそ雨の日を待った。全身がずぶ濡れになっていても不自然ではないですからね」
海まで行ってみると、降りるためのハシゴを発見。平尾受刑者が海を渡ったと見られる夜ならば、干潮でそのまま浅瀬へと降りることができる。対岸には本州、尾道市の建物が見える。確かに、頑張れば泳いで渡れるような気にはなる。
とはいえ、漂流物が流される速度を確認すると、潮の流れは思った以上に速く、泳ぐとなれば命の危険性が頭をよぎる。運よく潮止まりの時間に泳げたとしても、途中で潮の流れが速まれば一巻の終わりだ。
雨が降りしきる暗闇で、衣服を入れたポリ袋を携えて泳ぎきる姿を想像しただけで記者はおじけづいた。事実、本人も「1時間ほどかかった。死ぬかと思った」と供述している。
ただし、対岸にもいたるところにハシゴや階段があり、上陸自体はそこまで困難ではなかっただろう。
本州に渡った平尾受刑者だが、尾道市内では空き家ではなく民家にも潜伏した。住民は留守がちで、その存在には気づかなかったようだ。大胆にも屋根裏に炊飯器と布団を持ち込み、賞味期限切れの米も食べていたというが、これも空き家巡りで盗んだものだろう。まさに必死のサバイバルだったのだ。
そして平尾受刑者は、この民家から盗んだバイクで再び逃走。当初は岡山方面を目指したが、「広島」の表記を見て変更したという。この選択が、唯一の「判断ミス」だったのかもしれない。