「塀のない刑務所」を脱走した男の行く手を最後に阻んだのは「小学校の塀」だった──。地元警察が延べ1万5580人を動員するも、平尾受刑者はたった一人で3週間以上も逃げ続けた。日本全国の注目を浴びた大逃走劇だが、詳細は謎だらけ。いったいどんなルートを使い、どう過ごしていたのか。実際に現地へと乗り込み、追体験を敢行した。
「平尾だ、もう逃げん」
4月30日午前11時38分、平尾龍磨受刑者(27)は観念するように、取り押さえた警官に対し、そう言った。
平尾受刑者が脱走したのは、愛媛県今治市にある松山刑務所大井造船作業場。一般工員と共同作業をし、厳重な施錠もない開放的矯正施設であり、「塀のない刑務所」とも呼ばれている。
最初に異変が起きたのは4月8日午後6時過ぎ。建物1階廊下の窓から脱出し、付近にあった自転車で逃走。1キロほど離れた同市内の民家で現金と一緒に盗んだ自動車を運転して、しまなみ海道から一気に北上。本州を目指すも、途中で警察車両とすれ違ったため危険を察知して目前の向島で降り、付近の駐車場で自動車を乗り捨てた。以降、向島内部に潜伏し続けていると思われていたが、23日後、100キロ以上離れた広島市内の路上で、逃走と窃盗の容疑で御用となったのだ。
警察が大量の捜査員を動員したにもかかわらず、なぜ長期間、逃げることができたのか。その逃走ルートを実際に追ってみた──。
乗り捨てられた自動車が向島で発見されたのは8日の午後8時半頃。この付近は岩屋山を中心として、住宅地が主に裾野の東側と西側に分かれている。実際に午後8時頃に訪れてみたが、すでに島内は真っ暗。街灯の類いはほぼなく、各家の明かりが照らすのみだ。
駐車場からは、1分ほどでガードレール脇の山林へと続くケモノ道が見えた。
現場を歩いてみると、人けのない静かな暗闇で、自分が枝や枯れ葉を踏む音と、葉が風に吹かれてこすれ合う音が妙に響いて聞こえてくる。身を潜めるには適しているかもしれないが、不安と恐怖が募る。数分で抜けると、付近に目立たないハイキングコースを発見。10分ほど進むと、最初の窃盗事件が起きた住宅地へとたどりつくことができた。
最初の窃盗事件の発覚は9日朝。実際に被害を受けた男性が言う。
「息子が『今にして思えば、2時半から3時くらいに物音がした』と言っていた。たぶんその時、ケータイや車の鍵などが盗まれたのだと思います」
盗難品は主に居間に置いてあった。一枚扉を挟んで被害者夫婦は寝ていたという。このあたりは鍵をかける習慣があまりない。平尾受刑者は大胆にも正面から家に上がり込んで物色していたのだ。
実際に試してみたが、スライド式の扉は音を立てずに開けられた。
「朝になって息子夫婦の財布が消えていた。外に出たら、私のカバンが外のバイクに立てかけてある。車の助手席には財布が置いてあった。警察に来てもらったら、財布は現金とガソリン券だけが抜かれていました。結局、車はキーが盗まれただけだった」(被害男性)
この住宅は起伏の激しい高台にある。その地形から車両を出すにはバックや切り返しなどのくふうが必要。初見では動かし方に難儀して諦めたようだ。
以降、4月13日まで岩屋山を中心に半径およそ1キロ圏内で、7件の窃盗事件が頻発することになる。
山に近い住宅にはイノシシよけのフェンスがあった。一度、山中で便をした跡が見つかり、犯人潜伏の証しかと思われたが、結局、動物のものだったという騒ぎも起きた。平尾受刑者はケモノの影におびえながら、一人、山中で過ごし続けたのだろうか。