ボインの数ほど映画がある──。昭和に実った「むちむちぷりんな傑作」を、映画評論家・秋本鉄次氏とライター・藤木TDC氏の好事家2人が大放談!
秋本 僕の中でボインといえば、「肉体の門」(88年、東映)のかたせ梨乃(61)。おおらかなボディに実った包み込むような豊かなバストは母性を感じ、まさに男の夢そのもの。
藤木 同作は中学生当時にリアルタイムで観ました。かたせは常にボインを放っぽり出していましたが、そのありがたみよりも、日本人離れした存在感は中学生にとって刺激が強すぎましたね。ひし美ゆり子(71)くらいが理想的なデカパイです。
秋本 「新仁義なき戦い 組長の首」(75年、東映)ですね。「彼女と寝ると短命になる」というジンクスで語られる「下がりボンボン(縁起の悪い女)」という設定で、男がいつ死ぬかビクビクしている中で、彼女はそんな男どもを鼻で笑うようなキャラクター。ボインが自己主張していましたね。
藤木 彼女の初脱ぎは72年の「週刊プレイボーイ」でしたが、あのアンヌ隊員がと思うと、あれはショックだったなあ。それから東映に行き「仁義」で汚れきってしまって‥‥。まあ、それは中学生当時の感想で、今観ると細身に美バストのいいオンナです。ショックといえば、石田えり(57)の清純派からの脱皮も衝撃でした。それまで難病のはかなげな役柄などを演じていたのに、79年、19歳の時に突然「GORO」でヌードに。童顔に推定Fカップ乳がまぶしくて、こんなにかわいい子が脱ぐのかとたいへんお世話になりました。そのヌードを経ての「遠雷」(81年、ATG)で、はすっぱなヤリマンを演じ、妙にリアリティがあってハマリ役でしたね。
秋本 パッと脱いでパッとヤルという、バストの大きさと比例した豪快さがよかったです。清純派ボインといえば、早乙女愛(享年51)はもはや伝説。それまでセーラー服が正装と言っても過言ではない清純派だったのに、山城新伍が監督を務めた「女猫」(83年、日活)でボインを解禁。冒頭のシャワーシーンから、形のいいふくよかなバストを画面いっぱいに映してくれました。話題騒然となり、映画も大ヒットしましたね。
藤木 それまで脱ぐ気配を一切見せなかった女優が突然脱ぎ、しかもそれが驚くほどボインだった時の衝撃といったらないですよ。と言いつつ、最初から脱ぐ気満々だった「四季・奈津子」(80年、東映)の烏丸せつこ(63)も、僕は好きですけどね。クラリオンガールとして健康的エロスのイメージを踏襲した「透け乳首で撮った映画ポスター」をはじめ、男をどんどん乗り換えて自立する女子大生を、うまく演じていました。何より、キュッとくびれたウエストに、上向きの釣り鐘おっぱい、というボディが最高でしたね。
秋本 デビュー作の「恋は緑の風の中」(74年、東宝)からずっと脱いでいる原田美枝子(59)も忘れてはいけませんね。彼女のゴムまりのように弾むボインを見ると、「綾瀬はるかもこんな感じかな」と、つい妄想してしまう(笑)。
藤木 僕も最初は「なんてエロいんだ!」と思いましたが、しだいに「脱ぎすぎだろう」と思うように。「火宅の人」(86年、東映)の頃になると、ありがたみがなくなってきませんでした? でも、10代から熟女になるまで、ボイン遍歴の全てを我々に見せてくれたのはすごいことですが。
秋本 熟女ボインといえば、「復讐するは我にあり」(79年、松竹)の倍賞美津子(71)でしょう。三國連太郎と混浴し、後ろから乳房をむんずとわしづかみされるシーンの迫力たるや。ホルスタイン級のボインです。
藤木 あれは最高でしょう! 露天風呂で熟乳を揉むという描写は、男の夢をみごとに反映していました。脱ぐ以前の、20代の頃に「コント55号」の映画などで見せていたブラ姿や、ボディフィットするミニスカ衣装もよかったですよね。はち切れそうなボインは、今でも鮮明に思い出せるほど。
秋本 熟ボインも若ボインも、魅力は豪快さや奔放さ。作中のボインは総じて、男より生き生きとし、主導権を握りそうな迫力があり、見ていて痛快です。映画にとってのボインとは“生命力”そのものと言えますね。