今大会で初参戦の選手たちにも、涙なしでは語れない出来事があった。
セネガル戦で救世主になったMF乾貴士(30)は、高校時代から天才ドリブラーとして注目を集め、卒業後は横浜F・マリノスに入団。しかし、出場機会に恵まれず、わずか1シーズンで当時J2のセレッソ大阪に期限付き移籍する。
「フロントに獲得を勧めたのは、マリノスに所属していた元日本代表の松田直樹(故人)でした。期待していたのにすぐ移籍してしまい、『マリノスでレギュラーを獲ったら、すぐに代表に入れる選手なのに、あいつは逃げた』と怒っていました」(渡辺氏)
当時、先輩の厳しい言葉に耳を傾ける余裕はなかったのかもしれない。腐りかけていた乾を変えたのは、セレッソ大阪でイキイキとプレーしていた香川だった。
「ライバル意識を燃やし、お互いあまりパスを出さずに点を取り合っていた。乾は比較されるのを嫌っていましたが、間違いなく復活したのは香川との出会いでした」(サッカーライター)
海外移籍したあとも乾のプレースタイルは変わらず、ヨーロッパでもジワジワと名前が知れ渡っていく。
「15年にドイツのフランクフルトからスペインのエイバルに移籍する時、それまで推定年俸は1億5000万円から2億円だったのに、エイバルでの年俸はその半額ほどと言われています。それでも金よりスペインでサッカーする夢をかなえるために移籍を決断。世界には中国に金目当てで移籍するケースも多い中、選手の間でも驚きの声が上がりました。来季からスペインのベティスに移籍しますが、エイバルでの活躍が認められ、年俸をドイツ時代まで戻したのも乾のすごさです」(栗原氏)
攻守にわたって90分間ピッチを走り回るMF原口元気(27)は、プロデビュー時に所属していた浦和レッズ時代は「悪童」で知られていた。
「たびたび揉め事を起こし、途中交代に納得できず、ピッチ脇で監督にブチ切れたり、練習中にチームメイトとつかみ合いのケンカになって全治3週間のケガを負わせたことも。実力はあるのにメンタル面は‥‥」(スポーツ紙記者)
当時、お手上げ状態で「教育係」に任命されたのが、ドイツから浦和に移籍してきたDF槙野智章(31)である。
「なぜか槙野の言うことは聞いていた。練習前には先輩に挨拶する。御飯に連れていってもらったら『ごちそうさま』とお礼を言う。社会人として基本的な礼儀を丁寧に教えられたそうです。原口は14年に海外移籍しましたが、浦和がカップ戦で優勝した時、原口からレッズ宛にお祝いの花束が届いたんです。その成長ぶりにサポーターも感動していました」(スポーツ紙記者)
一方、教育係の槙野も今大会を前に、愛妻から脱皮を促されていた。
「ムードメーカーの槙野は、所属する浦和だけではなく、日本代表戦のロッカールームでいきなりふんどし一丁になって、キレのいい踊りで選手の緊張を和らげていた。それが今年2月に結婚した女優の高梨臨(29)から、『お願いだから、ふんどしだけはヤメて』と言われ、封印したんです」(スポーツ紙記者)
ルーティーンの変更が開運となり、快進撃を生んだのかもしれない。