初戦と2試合目で先発した唯一のJリーガー・DF昌子源(25)は、各国のエースを封じ込め、海外クラブの評価も急上昇中だが、高校入学当初はプロ入りすら「ありえない」選手だった。
「米子北高校に進学した時はFWでしたが、高1の夏に練習試合でDFの選手が負傷。たまたま監督のそばにいた昌子に声が掛かり、センターバックで出場したんです。未経験なのに相手選手に仕事をさせず、DFへのコンバートを命じられました。FWに未練があった昌子は納得できず、練習中にFWのグループに交ざっていたら、『センターバックやるか、一生走るか』と監督に怒られたんです」(サッカーライター)
嫌々ながらDFを続けるうちに、年代別代表に選ばれ、高校卒業後には鹿島アントラーズに入団するまでに成長。だが、プロデビュー目前に悲報が届く。
「サッカー部時代のチームメイトが交通事故で亡くなったんです。昌子は告別式に参列して、遺影の前でプロで活躍することを誓っています。W杯のピッチに立てたのも、自分の力だけではない、との強い思いで挑んでいるそうです」(サッカーライター)
鹿島で昌子とCBコンビを組み、日本代表での活躍が期待されたのは、DF植田直通(23)。小学校時代はテコンドー全国3位の実績を持ち、武闘派として鳴らしている。
「ふだんから口数の少ない寡黙なタイプ。相手チームにナメられないように常に戦闘モードを崩さず、試合会場で笑顔を見せないようにしています」(スポーツ紙記者)
取材記者たちもビビッてなかなか声をかけられないコワモテの植田だが、16年4月16日の湘南ベルマーレ戦後の勝利インタビューで、目頭を押さえて男泣きする場面が目撃された。
「熊本地震の2日後に行われた試合で、熊本出身の植田は感極まって言葉に詰まりました。チームに被災地の支援活動を直訴して、湘南戦の2日後には鹿島のメンバーと一緒に、現地で水や食料を配っています」
熊本地震から2年が過ぎたが、これには後日談がある。
「植田は今も支援活動を継続しています。それを小耳に挟んだマスコミが質問すると、『それは公にすることではないので』と丁寧な口調で断りました。美談にされるのを嫌がり、自分だけの思いとして留めておきたいようです」(サッカーライター)
日本代表戦士たちは、ピッチ外でも感涙ドラマの主人公だった。