逮捕以来、(麻原と信者は)23年間物理的に接触していないわけだし、家族ですら10年間会えていない。物理的には死んだも同然です。その中で、一部の幹部や信者の中には、私がアレフを辞める前から「今日、教祖が自分の前に現れた」と話す者がいた。そうした幻覚を見る、トランスに入りやすい人たちがいました。また、昔から教祖はどこにいても信者を見守る超能力があると信じられている。
こうして麻原はすでに神格化されていますから、死刑になったあとに、教祖は本当は死んでいないとか、復活したという主張を彼らがするとしても、今とあまり変わるわけではないと思います。
アレフの信者は、あくまでも信仰は間違っていないということで、現実と整合性を取らなければならない。つまり、麻原が死刑になっても生きているという妄想、そういう考え方を持っていくしか方法がないと思います。それに符合するかのような、麻原の「不死の予言」がありますから、アレフは、それを利用していくしかないのではないでしょうか。
──
また「麻原死刑後」には新たな問題も浮上している。遺骨を誰が引き取るのか。そして、麻原の遺物や埋葬場所が神格化される懸念も想定される。
──
そうなる可能性はまったく否定できません。ただし、オウム真理教・麻原の教えでは、(自身の)死を前提にして話したことはないんです。弟子の帰依がなかった時に、悪い結果としてだけ死はあると。ブッダ釈迦牟尼の場合は、釈迦が死んだあとに仏舎利(釈迦の遺骨)を納める仏塔を信者が作って、それを参拝することになりましたが、それはそういうふうにしなさいという釈迦の遺言があったからだとされています。しかし、オウムでは帰依がなかったら死ぬというだけで、死んだ場合のことは獄中メッセージを含めて、私が知るかぎりは、ないんですよ。麻原の言葉として。
しかし、現実に麻原の死が訪れれば、釈迦の故事にならって麻原仏舎利・仏塔を作るという発想を持つ人はいるかもしれない。ただ、あくまで遺骨は単なる骨であって、麻原は超能力で別の不死の肉体を作っている‥‥という説教を作ったほうが、アレフとしてはやりやすいでしょう。そして、彼らの必要な時には皆さんの前に現れると。
※本記事は週刊アサヒ芸能7月12日号(7月3日発売)に掲載