わずかな時間でハートをつかむ。そのためには秀逸なコピーと、群を抜くビジュアル、そして目に焼き付けるセーラー服があれば、そのCMは勝ったも同然。
1985年にオンエアされた斉藤由貴の「青春という名のラーメン」(明星食品)は、これまでのカップ麺CMの常識をくつがえした。
「CMは何バージョンかあったが、セーラー服姿のものが印象深い。それまでのキャピキャピとしたアイドルと違って、そこか暗い表情ながらも存在感は驚異的。悩み多い青春の時期に、彼女の存在は悩みや葛藤を分かち合えそうな感じがした」(アイドル評論家・織田祐二氏)
〈純情に、オトナすぎるということはありません。誘惑に、幼すぎるということはありません。胸さわぎは年齢を問いません。〉という文学的なコピーを前面に押し出し、さらにデビュー曲にして青春ソングの名盤である「卒業」がバックに流れる。商品そのものは短命に終わったが、CMのコンセプトとしては語り継がれるものになった。
制服の美少女が転校してくるという男子永遠の夢をかなえたのは、87年の宮沢りえに始まる「三井のリハウス」シリーズだ。
「今度転校してきました白鳥麗子です」
バイオリンを弾くバージョンなど、黒髪の美少女は時代の革命児となった。
「転校生に制服をからめた素晴らしいCM。当時の宮沢りえは、映画『ぼくらの七日間戦争』や、とんねるずの番組での学園コントなど、制服姿での出演によって大きく飛躍しました」(美少女研究家・高倉文紀氏)
そして「三井のリハウス」シリーズは、一色紗英や池脇千鶴など美少女の登竜門となり、住み替えのことを「リハウス」と呼ぶ一般用語にもなった。
同じように1人の少女によって、商品そのものが広く認知されたのは、広末涼子の「ドコモのポケベル」だ。まだ新人でありながら、そのCMコピーは「広末涼子、ポケベルはじめる」である。
「当時15歳で、日本でいちばん制服が似合う美少女だった。ブラウスにしろ、スカートにしろ、かなりラフでルーズに着用している。その着こなしも新鮮だった。まさしく、マジで恋する男たちが続出しましたよ」(前出・織田氏)
公園のタコ型遊具から降りて来る姿は、「あわやチラリ?」の境界線としても話題になった。もはや、絶滅種となった「ポケベル」だが、広末は今なお、3児の母となっても驚異的な若々しさをキープしている。