深作欣二は群像劇の名手であり、リアリティを追求する監督である。そのため、撮影初日に聞いた萬屋の「大仰なセリフ回し」に面食らう。
そもそも新感覚の時代劇とするため、出演の多くは現代劇を中心としていた。千葉真一、金子信雄、高橋悦史、芦田伸介、そして西郷もその1人。
深作は、萬屋のセリフ回しにこんな注文をした。
「錦之介さん、もうちょっと現代劇に近づけるやり方はないでしょうか」
萬屋は微動だにせず、言い放つ。
「ほかの方のことは知りません。私はこれでやらせていただきます」
主演俳優と監督の“不協和音”に、現場は一瞬にして凍りつく。これに観念したのか深作は、それ以上は萬屋の芝居に言及することはなかった。むしろ、どういう形で「萬屋錦之介」を生かすかに采配を切り換えている。
その端緒となったのが、映画の宣伝に使われたコピーである。東映の宣伝部にいた関根忠郎が「生涯で3本の指に入る」とした名句がこれだ。
〈我わしにつくも、敵にまわるも、心して決めい!〉
権力志向の象徴である柳生但馬守をみごとに表している。実はこの言葉は映画の脚本にはなかったが、当の萬屋がコピーを気に入り、関根の依頼に応じて予告編とCMスポット用にセリフ入りの映像を撮らせてくれた。そのため、劇場では決めセリフで登場すると思っていた観客から「なかったじゃないか!」と抗議される一幕もあったという。
関根は、かつて撮影所で見た深作から、こんなコピーも思いついている。
〈殺とれい、殺とったれい!〉
これは「仁義なき戦い」に使われたものだが、関根の中には共通項があった。
「サクさんの演出は、カメラをのぞきながら小躍りするように前のめり。周りに『撮れい、撮ったれい!』と叫んでいるような錯覚がありました。じゃあ、これを『殺れい!』に換えていただいちゃおうと」
関根が萬屋の役どころや深作の演出姿勢からコピーをこしらえたように、深作もまた、個々の役者によっての演出をする。例えば初顔合わせの西郷は、こんな印象を持った。
「挨拶したら深作さんは『お前さんなんかアテにしていないよ』って顔をしてらっしゃる。それでも、これだけすごい顔ぶれに加わり、深作さんの演出ってだけでうれしかった」
同じ京都撮影所であっても、テレビでは使えない豪華な衣装やセット、小道具の数々が惜しげもなく開放される。これが東映時代劇の底力かと西郷は思った。
劇中の忠長は、但馬守と家光の陰謀により、自害を命ぜられる。切腹の直前こそ、自分にとって大事な見せ場だと思った。
「但馬守にことづてるセリフが『兄上もかわいそうなお方だと、忠長が申していたとお伝えくだされ』でした。このセリフを、笑って口にすることで無念さを表現しようと思いました」
出番が終わり、撮影所長の高岩淡からお礼の電話が入った。
「ありがとう! 監督もあの演技はよかったと言ってたよ!」
西郷の好演は、すかさず次の機会につながった。