「やっぱり悪いヤツには死んでもらわないとな」
プロデューサー・日下部五朗の一言で難航していた「柳生一族─」のラストが決まった。忠長を自害させたことにより三代将軍となった家光だが、その首を但馬守の子である十兵衛(千葉真一)がはねる。
〈夢でござる。夢だ、夢だ、これは夢でござある!〉
取り乱して絶叫する但馬守は、萬屋の歌舞伎役者たるセリフ回しで異様な迫力を生む。西郷は試写の場で萬屋の演技に身震いした。
「やっぱり萬屋さんはあれでいい。周りがリアルな演技だから、大画面に生きるのは萬屋さんのセリフ回し。同時に、この映画は当たると確信しました」
実際、公開と同時に観客が殺到し、その興行収入は30億円以上を記録。時代劇初挑戦だった深作にとって、大きな勲章をもたらした。
余談だが秀逸なコピーを作った関根は、03年のイラク戦争時にブッシュ大統領の演説を聞いて耳を疑った。
「すべての国は選ばなければならない。われわれか、テロリストかを」
傲慢な大統領が、権力掌握の但馬守と同じ言葉を発していることに不思議な因縁を感じた‥‥。
その但馬守を演じた萬屋は、再び深作監督の「赤穂城断絶」(78年/東映)で大石内蔵助を演じる。西郷もまた、浅野内匠頭という大役を務めるのだが─、
「浅野をやれるのは光栄でしたが、なぜ深作さんが忠臣蔵なんだろうという思いもあった。すでにテレビでもやりつくしている題材だし、深作さんなら、もっと新しいテーマのほうがいいんじゃないかと」
実は直前に「宇宙からのメッセージ」(78年/東映)という“和製スター・ウォーズ”を1本、撮り終えている。半ば会社命令ではあったが、萬屋は苦言を呈した。
「なんで『宇宙─』なんかに手を出すのさ。次は忠臣蔵をやらなきゃ」
ただし、西郷が危惧したように、深作は古典的な題材にさほど興味はない。同じ忠臣蔵でも、後年に「忠臣蔵外伝 四谷怪談」(94年/松竹)を撮ったことが何よりの“深作らしさ”である。
さて「赤穂城断絶」の脚本を担当した高田宏治は、深作と何度も打ち合わせを重ねる。
「今までと同じ忠臣蔵をやってもしようがない。サクさんは『仁義なき戦い』でも主演の菅原文太や小林旭より、犬死にするチンピラたちを光らせるのがうまい人。この映画でも討ち入りから脱落してゆく浪士や、死にゆく者に力を入れていた」
もっとも、そこは忠臣蔵であるから、おなじみの「刃傷松の廊下」や「吉良邸討ち入り」を欠かすわけにはいかない。西郷は、松の廊下のシーンで深作に厳しく指導された。
「長袴をはいて、そんなに簡単に吉良上野介に手を出せるもんじゃない。だから走るな、むしろ廊下で後ろにひっくり返ってくれって。それが深作さんの求めるリアルさだったんです」
残念ながら「赤穂城─」は、時代劇復興の第2作としては「柳生一族─」の半分にも満たない興行成績に終わった。それでも高田は、深作が最後のシーンで萬屋に言わせたセリフに「本質」を感じた。
「私の脚本にはない『良き仲間たちでござった』という言葉を内蔵助に言わせている。サクさん特有の情感や寂しさを最後に集約させるところが、さすがだと思ったね」
〈文中敬称略、次回は宮本真希〉