「サッカーの神様」がふたたび! 元日本代表監督のジーコ氏が鹿島アントラーズのテクニカルディレクターに就任すると、チームが発表したのは去る7月17日。
8月初旬に来日するというジーコはJリーグ開幕前の1991年、鹿島アントラーズの前身である住友金属工業蹴球団に入団。チームにサッカーの基礎、プロとしての意識をもたらし、常勝軍団の基礎を作り上げた。現役引退後もテクニカル・アドバイザーとして残り、チームの発展に力を尽くした。そして2002年、日本代表の監督に就任。ドイツW杯で結果を残すことはできなかったが、日本サッカーの歴史に大きな足跡を残している。そのジーコが16年ぶりに鹿島アントラーズに復帰するとあって、サポーターの期待は高まるばかり。鹿島の新たな歴史が作られるはずだ。
「ジーコは世界的なスーパースターですが、鹿嶋市民にとってもそれ以上の存在です。地元のスーパーにはジーコの像が設置されています。そんな“神様”ジーコですが、素顔はとてもおちゃめ。天然キャラと言っていいぐらいなんです。いやケチというのが正しいかもしれません(笑)」(サッカーライター)
復帰を祝ってジーコのどケチ天然伝説を振り返ってみよう。
「ジーコは鹿島でプレイしていた時、東京・世田谷の家に住み、練習場がある茨城県鹿嶋市に公共交通機関を利用して毎日通っていました。最初は電車、後に高速バスを利用しています。来日当初はまったく問題なかったのですが、Jリーグが開幕してジーコの顔が知られるようになると、バスの乗客がパニックになることもあったそうです。それを聞いたチーム関係者が『お願いですからバスはやめて車で通ってください』と懇願するとジーコは『車はガソリン代と高速代がもったいない。高速バスのほうが安い』と拒否したそうです。乗客が大騒ぎすることが続いたため、さすがに車に切り替えたそうですがその後も『もったいない』としつこくグチっていたとか」(前出・サッカーライター)
日本にやってくる前、1981年のトヨタカップでMVPを獲得し、副賞としてトヨタ・セリカをもらった時は大喜び。たいていの選手は車を獲得しても、実際は車ではなく、車両価格に近い額のお金をもらうケースがほとんどだが、ジーコは車を選び、わざわざブラジルに持ち帰っている。
「鹿島のチーム関係者から聞いた話では、現役の頃のジーコは少しでも時間ができると、練習場近くのスーパーに行くそうです。目的はお買い得な商品を探すため(笑)。いい品が見つかると関係者に自慢するのがお約束。ある時、シャツを買ったジーコはそのシャツを手に関係者に『これいくらだと思う?』と聞いて回った。みんなその庶民的なスーパーをよく知っているので、だいたいの値段はわかります。ただ、正解を言ってしまうとジーコがすねてしまうので、みな気を使ってあえて高い金額を答えていたそうです。金額を聞いたジーコは『それぐらいに思うよな?でもこれはその半分なんだよ。お得だろ』とご満悦だったとか」(スポーツ紙記者)
スーパスターでありお金もそれなりにもらっているのだから、彼にあこがれる子供たちのためにもいい品を身に着けてほしいというチーム関係者の願いが届くことはなかった。しかもそのシャツはオジサンが着るようなおしゃれさとはかけ離れたものだったことも、チーム関係者をあきれさせたという。
ふたたび鹿島アントラーズに携わるジーコ。またどケチっぷりを発揮して周囲をなごませてくれるに違いない。