今年で記念すべき第100回大会を迎える夏の全国高校野球選手権大会。当然、前回大会までの優勝校は99校…と思いきや、実は97校しかない。
実は過去に2回、本大会が開催されなかったことがあるのだ。そのうちの一つが41年の第27回大会。当時、勃発していた日中戦争激化のため、地方大会半ばで中止となったのである。以後、46年に第28回大会が開催されるまで戦争のために中断された。
そしてもう一つが18年に開催される予定だった第4回大会である。この大会は8月14日に初日を迎える日程となっており、9日には全代表が決定し、出場校14校はその舞台であった当時の兵庫県鳴尾に集合済み。13日には組み合わせ抽選会も実施されていたほどだった。それなのになぜ大会自体が開催されなかったのか。答えは、歴史の教科書にも載っているあの“米騒動”である。
大会が開催される約3週間前の7月23日、当時の政府の失政による米の価格高騰が原因となって富山県魚津の主婦らによる県外への米移送阻止が暴動の発端となり、全国的な民衆暴動に発展。8月11日には神戸市で騒動が始まり、試合会場だった鳴尾球場にほど近い場所にあった商社・鈴木商店が焼き打ちにあうなど、周辺の治安が大幅に悪化。大会は一旦延期する方向となり、大会自体を大阪府にある北野中(現・北野)の校庭を球場代わりにして非公開開催をする案なども浮上していたが、その後も治安改善の見通しが立たなかったため、8月16日に大会の中止が決定したのだった。この際、優勝旗は前年優勝校の愛知一中(現・旭丘)がそのまま持ち帰っている。
戦争激化以外で大会が中止に追い込まれた唯一の事例だが、この事件のせいで悲劇のチームとなったのが九州地区代表の福岡県立中学明善校(現・明善)=福岡=だ。明善以外の13校はこの大会以前か以後、春夏どちらかの全国大会に出場し、勝ち星もあげているのだが、明善はこの大会が2年ぶり2回目の出場で、その最初の出場時には初戦敗退を喫していた。さらにこれ以後、春夏通じて1回も出場しておらず、現在に至っているのである。もし、大会が開催されていた場合、初戦の相手は強豪の和歌山中(現・桐蔭)だっただけに、勝てたかどうかはわからないが、それ以前に、試合する機会さえも奪われては…。
こうして明善は、第4回大会の幻の代表校の中でも最も不遇なチームとなってしまったのだった。
(高校野球評論家・上杉純也)