大会初日に北神奈川代表として登場し、初戦突破を果たした慶応。夏の選手権の第2回大会優勝校でもあるが、当時は東京代表だった。そしてこの時の優勝以降、東京代表は夏の選手権の優勝から遠ざかり、60年後の1976年第58回大会で東京に2度目の優勝をもたらしたのが、桜美林(西東京)だった。
当時の高校野球界にあっては新興勢力で無名に近い存在。大会前には、その校歌の歌詞の中に「YES、YES、YESと叫ぼうよ~」という当時としては斬新なフレーズがあることくらいしか話題にならなかったチームで、まさに伏兵の優勝だった。こじんまりとまとまり、基本に忠実なプレーをすることで勝利を引き寄せていったのである。
そんなチームを象徴する選手がエースの松本吉啓(明大-明治生命)。175センチ、65キロと小柄で特に球威があるわけではないが、投手の生命線であるコントロール、それも低めへの制球が絶妙だった。
初戦の相手は日大山形。松本は慎重に投げ、着実に相手打者を打ち取っていく。結果は何と4‐0の完封だった。エースの好投にチームも勢いに乗ったのか、続く市神港(現・神港=兵庫)戦は1点を争う展開となるも、ナインは焦ることなく3‐2で競り勝つ。
準々決勝はこの2年前の夏に圧倒的な強さで全国制覇を果たした銚子商(千葉)。この強豪相手にも松本が好投し、わずか2失点に抑えて4‐2で勝利したのである。
準決勝の相手は2年生エースながら、大会No.1剛速球と評され、のちに中日ドラゴンズでもエースとして大活躍する小松辰雄を擁する星稜(石川)。だが、この日の小松は連投の疲れからか、いつものスピードボールからはほど遠かった。それを見抜いた桜美林攻撃陣は、2回、3回、6回と小刻みに得点を重ね、4‐1で快勝。ついに決勝戦へと進出するのである。
決勝戦の相手は強豪・PL学園(大阪)だった。この年より60年前に慶応普通部が市岡中(現・市岡)を6‐2で下して優勝して以来の夏の決勝戦での東京ー大阪対決であった。
戦前はPLの圧勝という予想がほとんど。しかし、試合は1回裏に桜美林が1点を先制して主導権を握る。一方のPLの反撃は4回表だった。3本の長短打に失策を絡めて3点を取り、逆転したのだ。
だが、ここから松本が踏ん張り、追加点を与えない。すると7回裏に代打の菊池太陽が二塁打を放って反撃開始。このあとに内野安打と二塁打で2点を取って同点に追いついた。そして同点のまま突入した延長11回裏。桜美林はヒットのランナーを一塁に置いてこの菊池がレフトフェンス直撃のサヨナラの適時二塁打を放ったのだ。優勝を決め、甲子園に高らかと鳴り響いた桜美林の校歌。場内からは自然と「YES、YES、YESと叫ぼうよ~」の大合唱が起こっていた。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=