たった一人で原爆を作り上げ、国家権力を相手に荒唐無稽な要求を繰り広げる「太陽を盗んだ男」(79年・東宝)の沢田研二も、憎めない悪役の一人だ。
「結局、原爆を持て余す様が、おちゃめでユーモラス。最後の菅原文太演じる刑事との駆け引きも、妙に笑いを誘うのです」
山崎努の出世作「天国と地獄」(63年・東宝)もまた、庶民と権力との対比が顕著に見られる作品だ。
「貧しい身の上から、丘の上に立つ富豪の家に劣情を抱き誘拐犯となった山崎が、逮捕勾留後、面会室で独白するシーンが印象的。犯罪者然とした鋭いナイフのような目つきが忘れられません」
一方、権力者間で生まれる悪人はどうだろう。大学病院内の権力闘争を描く「白い巨塔」(66年・大映)の田宮二郎は、「いちばん質の悪い悪役」だという。
「外見から“悪でござい”という悪人と違い、権力の中で守られた彼はいちばん悪質で、悪の魅力がぷんぷんしている。田宮はその後、さまざまな事業に手を出して失敗し、自殺という最期を迎えてしまいましたが、役柄と似たような権力欲があったのかもしれないですね」
さて、これまで強烈な悪人をあげたが、忘れてはならないのが、悪人にとっての“女の存在”だ。「血と骨」(04年・松竹=ザナドゥ)でビートたけしが、その意義を教えてくれている。
「怪物的な存在感で家族を支配していくたけしが、妻役の鈴木京香を力づくで犯すシーンは目が離せません。京香の露出度が少ないにもかかわらず、たけしのオスの匂いで画面上に強烈なエロスが漂っています」
実在の連続殺人犯をモデルにした映画「復讐するは我にあり」(79年・松竹)の緒形拳もまた、女との攻防戦が際立つ。
「清川虹子と小川眞由美演じる母子を籠絡し、潜伏するシーンの緊迫感はすごい。小川を手練手管で落とし、反発する清川にドスを利かせて支配する、オスの魅力で屈服させていく様は圧倒的。ついには邪魔になった清川を殺害しますが、悪に染まりきり、もう引き返せないという覚悟が出た顔は、凡人にはできない表情です」
それだけではない。さらに焼き付いて離れないワンシーンがあるという。
「人を殺したあとに手についた返り血を、自分の立ちションベンで洗い流すという場面。このインパクトは今でも頭から離れません」
アウトローからテロリスト、殺人鬼まで─“悪人”とは、いかなる存在なのだろうか。
「映画というフィルターを通して観る悪人は、ヒーローよりも魅力的に映ることが多いですよね。どこかに悪人志願がありつつも、社会の規範の中で生きなければならない私たちにとっては、やはり憧れの存在なのではないでしょうか」