酔って罵倒したことを謝罪したM-1芸人らを「興味ありません」と瞬殺した上沼恵美子(63)。しかし、最強の西の女帝にはいまだに癒えない、向こうズネに古傷があった!
スポーツ紙芸能デスクが称賛する。
「騒動翌週に生出演した『わが心の大阪メロディ」(NHK)では、トップバッターで登場。かつて海原千里・万里時代に40万枚超の大ヒットを放った『大阪ラプソディー』を歌唱したうえで、『大阪万博のテーマソングにしたいっておっしゃるんですけどお断りしているんです』と、得意の大ボラで場内を沸かせていた。M-1騒動で、罵倒したとろサーモンらを上沼さんがまったく相手にしなかったことで、あらためて上沼無双をアピールする結果となった」
いまだ無敗の上沼!と思いきや、実はその上沼をもってしてもかなわない好敵手が天童よしみ(64)なのだ。年齢は上沼の1歳上、芸能界に入る前からの因縁があるという。ベテラン芸能レポーターが説明する。
「実は、淡路島出身の上沼さんと和歌山生まれ大阪育ちの天童は、子供のど自慢大会で常に対立関係にあったのです。といっても、大会では天童が連戦連勝、上沼は常に子供チャンピオンとして立ちはだかる天童を前に苦杯を喫していた。天才子供歌手としてスポットライトを浴びたのはいつも天童のほうでした」
舐めたらアッカン♪とその後、歌唱力を買われた天童は70年にアニメ「いなかっぺ大将」の主題歌を歌い、72年に「全日本歌謡選手権」を10週勝ち抜いて芸能界入りを果たした。
一方、歌手としては天下を取れなかった上沼は、姉とコンビを組み、中学卒業後の71年に漫才師デビュー。翌年の上方お笑い大賞銀賞を受賞する。
「上沼の夢を打ち砕いた天童さんですが、デビュー後はドサ回りの売れない時代が長かった。それを横目に、上沼さんは、お笑い界の百恵ちゃんと呼ばれるほど人気者となった。私生活ではテレビ局幹部と結婚、2児をもうけた。子育て後は、故・やしきたかじんと関西を二分する大物司会者として大成するまでに。今でこそ番組で共演することもありますが、『あんたのせいでアイドルになりそこねた』『後ろから首絞めたかった』などと、上沼は天童に恨み節をぶちまけています」(ベテラン芸能レポーター)
天童への雪辱を果たし、女帝となった今ではすでに和解したと見るべきか。
「上沼がお笑いで人気者になった頃は、天童は鳴かず飛ばず。その後、天童は『道頓堀人情』『珍島物語』などが大ヒット。2頭身キャラの携帯ストラップが女子高生の魔除けになり、座長公演を務めるまでに売れ始めると、上沼もディナーショーなどを企画し、再び歌手として張り合うことになった」(ベテラン芸能レポーター)
この歌手タイマン勝負はまだ続行中だ。
「14年紅白では天童がその年亡くなったたかじんさんを追悼し、『やっぱ好きやねん』を熱唱。これに対し、上沼さんも今年の『わが心の大阪──』で絶対譲れないとばかりに同曲を歌い返しています」(スポーツ紙芸能デスク)
「女たかじん」の座は、私だけのもんやで~。