土俵人生に一片の悔いもございません──。19年ぶりの日本出身横綱として人気を誇った稀勢の里がわずか2年で去った。ガチ相撲で名を馳せたもののケガに泣かされ、親方との確執地獄も修復しなかった。孤軍奮闘の土俵人生に迫る。
好角家で漫画家のやくみつる氏が語る。
「会見で、『土俵人生において悔いはありません』と話しましたが、その前に『皆様の期待に沿えられないということは非常に悔いが残りますが』とも話していた。本音は『非常に』という言葉からも、こんなはずじゃない、好転すると思ってきた気持ちへのけじめをつけるために、悔いはないという言葉を使ったと思いましたね」
稀勢の里(32)本人の願いもむなしく、初場所で初日から3連敗を喫し、横綱在位12場所という短命での引退となった。
昨年11月、横綱審議委員会(横審)から「激励」を言い渡され、もう休場できない土俵際に追い込まれていた稀勢の里だったが、コンディションは元に戻らず、厳しい状況のまま、本場所に臨んでいた。スポーツ紙相撲担当デスクが話す。
「昨年の12月22日に18年最後の巡業が茨城県土浦市で行われたものの、横綱の地元の牛久市からほど近い場所の巡業地にさえも顔を出せない状況だった。周囲はその時点で、初場所での引退が濃厚とみて、それなりの準備を始めていた」
18年12月30日の稽古納めでは、弟弟子の大関高安(28)を相手にした三番稽古(同じ相手と取り続ける)で15勝3敗と復調ともいえそうな勝率だったが、スポーツ紙記者の目には、精彩を欠いた横綱の落日ぶりばかりが印象に残ったという。
「1月7日の横審による稽古総見は、横綱の鶴竜(33)と大関の豪栄道(32)との申し合いで6番取り、3勝3敗と厳しい結果だったが、9日に行われた二所ノ関一門の連合稽古では一変し、昨年の九州場所で初優勝した新関脇の貴景勝(22)相手の三番稽古で8勝1敗と圧勝でした。ただ高安にしろ貴景勝にしろ、崖っぷちの稀勢の里の弱点を厳しく攻めるような動きに乏しく、横綱の気持ちを盛り上げようと忖度しているようにも映った。周囲の不安は消えないままでした」(スポーツ紙相撲担当デスク)
さらに追い打ちをかけるように、師匠である田子ノ浦親方との冷戦ぶりも浮上してきた。スポーツライターが解説する。
「初場所前のこと。田子ノ浦親方は、マスコミに対して稀勢の里の稽古非公開の通達を発した。稀勢の里の意向で秘策稽古かと思ったら、実は親方独自の判断でした。マスコミの注目が集まる中、口もきかない助言なしの冷えきった関係を見られたくなかったのだろうと、誰もが思ったものです」
稀勢の里と田子ノ浦親方の確執は、角界では有名な話だ。スポーツライターが続ける。
「1月16日の朝、田子ノ浦親方が横綱の引退の決意をマスコミに伝えた時、『引退の理由については聞いてないが』と話していたが、おかしな話です。『聞けなかった』、あるいは『聞かされなかった』が現実でしょうね。そのため、引退会見の段取りでも、ひと悶着起きてしまった」
今回の引退会見は午後3時40分から開始となったが、異例ずくめのドタバタ劇が繰り広げられた。
「その時間といえば、幕内土俵入りの予定時刻ですよ。続いて横綱の土俵入り、中入りと続く。稀勢の里だって不本意でしょう。現役の力士たちに失礼な話ですからね。前の晩に親方に引退の決意を告げていたわけだし‥‥。田子ノ浦親方に審判部の仕事があったとはいえ、親方と協会の対応はずさんというしかない。民放各社の中継にも支障をきたし、CMを入れながらのリレー中継になってしまった」(後援会関係者)
全国の相撲ファンをハラハラさせながらも孤軍奮闘した、日本人ただ一人の横綱の引退会見にしては、実にお粗末な舞台裏だったといえよう。