降りかかった火の粉に対し、オンナたちはどんな言葉を発したのか? アサ芸だけに寄せた「平成の貴重な証言」を厳選する。
平成と同時に起こった空前の相撲ブームは、若貴を中心とした二子山ファミリーによって形成された。親方夫人として部屋を支えた藤田紀子(71)は、週刊アサヒ芸能97年7月24日号で、こんな爆弾発言を繰り返している。
「若乃花(当時大関)の引退報道が出ましたが、あの人が流したデマだと思います。あの人? 花田勝治さんですよ」
先代の二子山親方であり、夫(当時)の実兄である。夫人はたまっていた不満をぶちまけた。
「あの人は、いまだに自分に力があるんだ、ということを誇示したくて、こんな話を記者の方にリークしたんじゃないでしょうか。それに、あの人とはほとんどつきあいがないんですよ。もともと、部屋の合併(旧二子山部屋と旧藤島部屋)には、私は反対でした」
当時、日本一の理想のファミリーと呼ばれた花田家だが、その後は夫婦、親子とことごとく絶縁が続き、今に至る。崩壊の最初の一矢は、週刊アサヒ芸能がキャッチしていたのである。
さて、斉藤由貴(52)はこれまで、数々の不倫を経験してきた。91年には尾崎豊との不倫旅行をスクープされ、「同志のような関係」と弁明したものの、イメージダウンは莫大だった。
この騒動の渦中に、斉藤は週刊アサヒ芸能の「ジェームス三木対談」に登場している。不倫騒動に話を振る三木氏に対し、斉藤は言葉こそ発しなかったものの、あの潤んだ瞳で三木氏を見つめ、悠然としたほほえみを浮かべていた‥‥。
99年、知性派キャスターだった石井苗子(64)は、一大スキャンダルに見舞われた。家庭がある身でありながらファンレターを送ってきた年下男と同棲。その火遊びが終わると、男は一部始終を女性誌に暴露する。これだけに終わらず、同棲していたマンションに投げ込まれたという石井のヌード写真まで公開されたのだ。
騒動から5年後、石井にあらためてこのことを聞いた。
「あの時のことは‥‥、あまりに逆風が吹いたので、記憶喪失のような感じです」
否定も肯定もせず、というニュアンスである。
杉田かおる(54)の破天荒キャラが開花したのは、週刊アサヒ芸能98年12月24日号の「テリー伊藤対談」がきっかけである。
「27歳までちゃんとした彼氏ができなかったんで、それまではゆきずりで、新幹線のビュッフェで飲んでてナンパされちゃって、そのまま東京駅から錦糸町のラブホテル行って、名前も聞かないでサヨナラとか」
さらに杉田は、男とのセックス中に女が乗り込んできて腰が抜けたエピソードなど、キャノン砲を炸裂させた。テリー対談史上初めて「2週にわたって掲載」となったのも納得であろう。
一時、グラビア界を騒然とさせたのが「控え室の盗撮被害」であったが、Gカップがまぶしい梶原亜紀(41)も、00年にそれらしき映像が出回った。真相を聞き出すと──、
「はい、あれは間違いなく私です」
梶原はあっさり事実を認め、その後、ヘアヌード写真集を出したのちに引退している。
最後は、袴田吉彦との「アパホテル不倫」で話題になった青山真麻(34)である。騒動から約2年、その胸中を明かした。
「彼との出会いは、港区界隈で飲み歩いていた当時、女友達に誘われて参加した美容関係の誕生日パーティー。一夜をともにしたあとネットで調べて、彼が既婚者だと知りました。交際中は真剣に恋愛していたから、後悔はしていません。でも、確かに私はよくないことをして、反省もしました。それからしばらくは荒れた時期もあったし、世間の目が気になって孤独を感じる時もありました。徐々に落ち着き、今の恋人と出会い、結婚を前提に幸せな毎日を送っています」
乗り越えた幸せということか──。