次々に高齢男性と結婚して毒殺し、多額の遺産などをせしめている60代の女が関西にいる──。「後妻業の女」こと筧千佐子被告(72)のそんな疑惑が表面化したのは、14年の春だった。捜査の結果、千佐子は4人の男性を青酸化合物で毒殺するなどしていたとして殺人罪などに問われ、17年11月、京都地裁の裁判員裁判で死刑判決を受けた。
そんな千佐子と私が京都拘置所で初めて面会したのは、死刑判決が出て1カ月余りが過ぎた日のことだ。アクリル板越しに対峙した千佐子は、逮捕前は黒く染めていた髪が真っ白になり、化粧をしていないため、顔はシミやシワが目立った。
そんな老女がこの日、面会室で発した第一声はなかなかインパクトがあった。
「あなたのこと覚えてるよ」
千佐子は私のことを、知人の第三者と勘違いしたのだ。
「私は今日、初めて面会に訪ねたのですが」と指摘すると、千佐子は「私、健忘症なんです」と何ら悪びれずに言った。千佐子が獄中で認知症を発症し、裁判中も供述を二転三転させた話は聞いていたが、症状は思ったより深刻そうだった。
この日以降、面会や手紙のやり取りを重ねた中では、千佐子は私に対しても言うことがコロコロ変わった。
例えば、ある日の面会中、「実際、何人殺したんですか?」と尋ねたことがあった。千佐子は最初、「そんなの、突然聞かれても答えられませんよ」と真顔で言っていたのだが、その数分後には、「殺したのは最後の夫だけです!」と声高に主張した。
また、次々に葉書をくれる筆まめさには感心したが、〈健さんと近くだったら、デートの時の費用、私が払うのに(笑)〉(18年3月14日付葉書)などと、私のことを同年代の男性と勘違いし、誘惑するようなことを書いてくることも。届く葉書の多くは、急ぎの用件でもないのに速達になっており、これも認知症の影響だと思われた。
ただ、取材を重ねるうち、私は千佐子のことを悪人と思えなくなった。悪人というより、何らかの精神医学的な問題を抱えた人物ではないかと思えてきたからだ。
それを確信したのは、面会中、被害者遺族のことに話が及んだ時だった。
「被害者遺族に申し訳ないという思いはありますか」と問いかけた私に、千佐子は「ないですね」と言い切り、こう続けたのだった。
「だって、私が殺したのは被害者ですよ。遺族を殺したわけじゃないですから」
千佐子は、善悪の基準が普通と相当異なる人間なのだ。
一方で、千佐子は死刑判決については、「今さら、どうのこうのないです。あす死刑になってもいいという気持ちです」と潔く受け止めていた。現在は大阪拘置所に移り、3月1日に大阪高裁で始まる控訴審を待つ身だが、死刑が確定すれば、再審請求せずに刑を受け入れそうな雰囲気すらある。
片岡健(ノンフィクションライター):1971年生まれ。新旧さまざまな事件を取材しているノンフィクションライター。新刊「平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル」(笠倉出版社)を上梓したばかり。