私が鳥取連続不審死事件の被告、上田美由紀(45)と松江刑務所で初めて面会したのは、13年3月上旬の肌寒い日のことだった。
元スナックホステスで、5人の子供がいる美由紀は、報道の写真では大柄な怪人物という印象だった。ところがこの日、面会室に現れた美由紀は、体の横幅こそあるものの、身長は150センチに満たない小柄な女性だった。そしてアクリル板越しに向かい合うと、切実な表情でこう訴えかけてきた。
「私のことを一度に全て知ってはもらえないと思いますが、ひとつひとつ知ってほしいです」
自身の債務の返済を免れるため、2人の男性を殺害した罪に問われた美由紀は、この3カ月前、鳥取地裁の裁判員裁判で死刑判決を受けたばかりだった。美由紀本人は無罪を訴えていたが、冤罪を疑う報道は皆無。むしろその周辺では、他にも4人の男性が不審死していたと伝えられていた。だが、それとは裏腹に、美由紀が発する言葉が純朴な感じだったので、私は少し驚いた。
この日以降、私は美由紀と面会や手紙のやり取りを重ねたが、最初のうちは、人当たりのいい女性だと思えた。だが、取材を続けるうち、美由紀に対する私の心証は再び大きく変わった。だんだん態度がふてぶてしくなるばかりか、息をするようにウソをつき続けたためだ。
その最たるものが「友人の話」だ。美由紀は面会の際も手紙でも、実在するのか疑わしい友人たちの話をしつこいほど繰り返したのである。
「私の友人たちは、私に関する報道がウソばかりなので、片岡さんに本当のことを話したいと言っています」
「友人は、写真や資料を集めまくっているようです」
「友人は、私を助けたいと必死です」
美由紀は、その友人たちを私に会わせたいと何度も言っていたが、結局実現しなかった。美由紀がウソをついてまで自分に友人がいることをアピールしたかったのであれば、きっと寂しい人生を送ってきたのだろう。
美由紀については、もうひとつ、強烈な思い出がある。それは、美由紀とともに「東西の毒婦」と呼ばれた首都圏連続不審死事件の木嶋佳苗(44)にブチ切れたことだ。
そもそもの原因は、ジャーナリストの青木理氏が鳥取連続不審死事件を取材し、美由紀にも面会したうえで「誘蛾灯 鳥取連続不審死事件」(講談社)という本を出版したことだった。青木氏のファンだった佳苗は、同書を読んで嫉妬。美由紀が青木氏との面会中、質問をはぐらかし続けたことについて、支援者のサポートで運営するブログで、こう批判した。
〈彼女を大馬鹿だと思った。腹立たしくもあった〉(「木嶋佳苗の拘置所日記」2013年12月24日付記事)
すると、これに美由紀が激怒したのである。
〈もう完全に、私は彼女と生き方が違う事を感じました〉〈多分間違いなく訴訟になると思います〉(いずれも14年3月6日付手紙)
そのように佳苗への批判を手紙に書き連ねてきた美由紀は、なぜか私にも疑いの目を向け、〈彼女に私の事を勝手に流すのはやめて下さい!!〉(同年9月8日付手紙)と怒ってきたりした。この猜疑心の強さは、病的だとすら感じさせられた。
その後、私と美由紀の関係は切れたが、裁判で死刑が確定した現在、刑場のある広島拘置所に収容されている。その心の闇は、明らかになるのだろうか。
片岡健(ノンフィクションライター):1971年生まれ。新旧さまざまな事件を取材しているノンフィクションライター。新刊「平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル」(笠倉出版社)を上梓したばかり。