相模原障害者施設19人殺害事件の植松聖被告(29)ほど、世間から顰蹙を買った殺人犯は他にいないだろう。
事件は2016年7月26日の未明に決行された。植松はかつての職場である神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」に侵入し、持参した刃物で入所者19人を次々に刺し殺した。そして警察に自首すると、「意思の疎通がとれない障害者は安楽死させるべきだと思った」と語り、世間の人々から批判を浴びたばかりか、「差別主義の身勝手な大量殺人犯」というイメージが定着した。
だが、筆者が実際に面会してみると、植松の実像は一連の報道のイメージとは異なっていた。
「遠いところをわざわざありがとうございます」
17年10月下旬、横浜拘置支所の面会室。アクリル板の向こう側に上下ともにフリースという姿で現れた植松は、初対面の私にそう言い、深々とお辞儀した。
犯行時は金色だった短髪は、長く伸びて黒くなり、後ろでひとつに結ばれていた。ニュース映像では、警察車両で連行されながら大笑いしていた様子が放送されたが、実際は話し方も穏やかだった。
「あの時はマスコミの人波が押し寄せて来たので、つい笑ってしまったんです」
そう言ってほほえんだ植松は、先入観がなければ、むしろ好青年に思えそうなほどだった。
初回の面会以降、私は植松と面会や手紙のやり取りを重ねたが、どうやら植松は、自分の犯行や考えを正義だと固く信じているようだった。
私が犯行動機をあらためて質問した時のこと。植松は、意思の疎通のとれない障害者を「心失者(しんしつしゃ)」と呼び、こう説明した。
「心失者はさまざまな不幸の源です。心失者たちが社会から奪っている物資や食糧、マンパワーを、世界の不幸な人たちに回すべきです」
この時、植松の表情は真剣だった。続けて、力強くこう言い切った。
「自分の生命を犠牲にしてでも、やらないといけないことだと思ったんです」
つまり、死刑を覚悟のうえ、大義に殉じるような思いで犯行に及んだと言うのである。
さらに対話を重ねると、差別主義者とみられている植松自身が、思いのほか自己評価の低い人物であることもわかった。
「自分は遺伝子が優れてないので、子孫を残したい意欲があまりないんです」
ある日の面会中、植松はそう言った。なぜ、そう思うのかと聞くと、「人間って見た目だと思うんで」と答えた。植松の見た目は、飛び抜けてハンサムでもないが、客観的に見て標準以上だろう。しかし、植松本人にしかわからない美の基準があるらしい。
〈私が美しさにこだわるのは人間として当然の本能で、それを理解しているかどうか、声に出すかどうか、だと思います。皆様がどうして声に出さないのかと言うと、現実をみないブサイク達が「優性思想だっ!!」と、トンチンカンな因縁をつけてくるからです〉(17年11月20日付手紙)
こうして話を聞くと、植松は、自分の美の基準に合わない人間にも強い差別意識を有していることがわかる。口にするのもおぞましいが、植松が障害者を差別するのも、実は何より障害者たちの見た目に、身勝手な偏見を抱いているからではないか。
いずれにせよ、植松の犯行を正当化できる余地は微塵もなく、適用される刑罰は死刑しかありえない。
事件から3年近くになるが、裁判の日程はいまだ未定だ。
片岡健(ノンフィクションライター):1971年生まれ。新旧さまざまな事件を取材しているノンフィクションライター。新刊「平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル」(笠倉出版社)を上梓したばかり。