鬼畜の所業を写真に収めていた矢野容疑者とは、いかなる人物だったのか。中学時代の同級生が明かす。
「おとなしく真面目で、女性と話すのが苦手なタイプ。体格はガッチリしていて筋肉質で、中学では陸上部に所属していた。部の合宿で海に行った時、ウニを踏んでトゲが刺さったことで、付いたアダ名が『ウニ』。そのくらい、いじられキャラな面もあった」
別の同級生によれば、矢野容疑者の父親は地域の柔道クラブで指導をしており、そのため、小学校の頃から柔道もたしなんでいた。成績もよく、北九州市の私立進学高校に進学する。
「高校でも、特に荒れていたような話は聞かないし、目立たないタイプだった。防衛大学校に受かったけど、高校の推薦入学で九州の工業大学に進学したと聞いた」(地元住民男性)
文武両道を地で行くような青年だったが、大学入学後、様子が変わったという。
「ナンパやバンド活動に明け暮れるようになった。結果的に大学は中退した」(前出・地元住民男性)
その後は、アルバイトを転々とする。バンド活動もやめ、上京したこともあった。その頃に強制わいせつ事件を起こしたのだ。
出所後は地元・下関市に戻り、住宅設備会社に就職。益田市でソーラーパネルの営業を始めた。勤務態度はよく、営業成績もよかったという。だが、その頃から不穏な動きはあった。
「平岡さんが行方不明になった前後、客が取れないから担当地域を変えたいと社長へ電話したそうです。遺体発見のニュースが流れた11月6日夜には『実家に帰るので2日間休ませてほしい』と社長へ連絡を入れていた」(社会部記者)
そして休み2日目となる同月8日、矢野容疑者が運転する車は山口県美祢市の中国自動車道下り線でガードレールに衝突。車は炎上し、容疑者本人と同乗者である母親が焼死した。
「実父は事件の2~3年前に亡くなっていて、山口県萩市のほうにある墓参りからの帰りに起きた事故。ガードレールにぶつかる前から、車から炎が出ていたという目撃証言もあり、母親との無理心中も疑われています」(地方紙記者)
法の裁きを天罰によって逃れた犯人だが、平岡さんの遺族の無念はいかばかりか──。捜査本部を通じ、
〈犯人が見つかったという安堵感はありますが、私たち家族には言葉では表現できない怒り、悲しみ、憎しみ、苦しみをぶつける先がありません〉
とコメントを発表した。遺族を訪ねると、ドアを閉めたまま、すりガラスの向こうから父親らしき人物がこう答えた。
「取材は一切お断りしています。全て警察の方にお任せしていますんで‥‥」
あたりは静まり返っているが、平岡さんがよく散歩させた愛犬の鳴き声だけが闇夜に響いていた──。