「トリオの名前は取れてしまうけど、それぞれに独り立ちしていくけど‥‥でも、私たちは変わらないからね!」
誰からともなく言い合い、ステージに上がる前に3人で「指きり」をして臨んだ。そして終わると3人が号泣し「またすぐ会えるから」と言って別れた。
「純粋でしたね。でも、お互いがお互いを思いやって、私にとってはかけがえのない2人でした」
最初に変化が訪れたのは百恵の結婚だった。三浦友和との恋は知ってはいたが、引退という選択には驚きを隠せなかった。
「絶頂期に辞めるという潔さ。モモさんらしい信念を感じましたね。芸能界ではたくさんつらいこともあったでしょうけど、そうしたことに耐えて耐えて、彼女の今の幸せがあるんでしょうね」
百恵の結婚からほどなく、淳子は歌手を捨て、女優という道を選んだ。昌子とは現場が違うために顔を合わせることが少なくなった。そういえば、その原点を何度か見たこともあった。
「ジュンペイはトリオ時代によく楽屋で小説を読んでいて、文章を自分なりにアレンジして、セリフのように言ったりしてたんです。ああ、お芝居が好きなんだなって思いましたね。ただ、ドラマ経験はモモさんのほうが多いから『そこは違うんじゃない?』ってやさしくアドバイスされたりも」
それぞれが芸能界を去ったりしたが、昌子は06年に「バラ色の未来」でファン待望の再デビューを飾る。同年には「紅白歌合戦」にも復帰するなど順調だったが、たび重なる体調不良が襲う。07年には重度の更年期障害に悩まされ、09年には子宮筋腫の手術を受けた。
そのすべてを公表したわけではなかったが、見舞いの電話が鳴った。
「モモさんからだったんですね。私、彼女の披露宴にも地方の仕事と重なって行けなかったけど、もう四半世紀以上も会っていないのに『大丈夫? 何かあったらいつでも行くから』って言ってもらえて。そのあともメールであれこれ励ましてくれるんです」
その直後には淳子からも手紙をもらった。百恵と同じように「大丈夫ですか?」と昌子の体調を気遣い、明るくこう書いてあった。
〈また“おばさんトリオ”で集まれたらいいですね〉
こうした友の支えを受け、時間をかけて回復した昌子は、今では精力的に歌手活動をこなす。そして地方コンサートで必ず口にする言葉がある。
「私の青春は『中3トリオ』から始まりました」
そこには、トリオでいたことへの責任感もあるという。直接、顔を合わせてはいないが、山口百恵、そして桜田淳子に伝えたい言葉は何だろうか?
「ありがとう! という感謝ですね。多忙の時期に皆で笑い、助け合って生きた4年間は私の宝物。それぞれにいろんな体験をして、大人になって、ずっと会っていなくても友情を続けていられる。改めて感じるのは『絆』の大きさですね」
70年代の青春を象徴した「中3トリオ」が再会する日。それは、世代を共有した俺たちも願ってやまない──。