昭和の哀愁漂う無頼派俳優の石倉三郎(66)。ベテラン俳優が語る、酒と女と役者の流儀とは──。
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俳優になって映画に出たいと思って、大阪から東京に出たはいいけど、何のツテもなかった。それで当時、バイト先の隣が高倉健さん(82)が行きつけの喫茶店で、僕も通ううちに話すようになって、ある日、喫茶店のママが、
「サブちゃんは役者を目指しているのよね」
と、いらぬことを言っちゃった。そしたら健さんが、
「じゃあ東映においでよ。僕が紹介してあげる」
と言って紹介してくれたんです。それで東映に入ることができた。理不尽な製作者を殴って4年ほどで辞めちゃったけどさ。
俳優の心得みたいなもので、健さんから教えてもらった中に、礼に耐えろ、冷たさに耐えろ、暇に耐えろ‥‥っていうのがあって、暇に耐えろっていうのがいちばんつらい。役者は待つのも仕事のうちだけど、いつ来るかわからないし、もう仕事が来ないんじゃないのか、っていう世界。でも、健さんは、
「卑しく餌を取りに行くな。暇に耐えている時に俳優の顔ができる」
って言ってさ。何でもかんでも手を出していたら、役者としていい顔にならないって。まぁそう思うけど、そりゃ健さんはいいけど、こっちはそうもいかなくて(笑)。
待っている間は、趣味がありゃいいけど、何もないから夕方から酒ばかり飲んでますわ。暇な時ほどまずい酒はないんですが。コンビを組んでお笑いをやっていた時は、松竹演芸場で、10日間連続で舞台に出た時、1日の出演料が3000円。コンビで割って、交通費とタバコ代引いたらほとんど残らないわけ。それでもその夜の酒はウマくてさ。結局、ギャラじゃないんだよね、酒って。
今も若い時と飲む量は変わらない。一升瓶だって空けますよ。年を取って健康のためにタバコも酒もやめる、なんて聞きますが、それだったら人生やめたほうがいいんじゃないの。酒がないと人生に楽しみもないでしょ。
酒の席に誘われたら、よほどのことがないかぎり、絶対に行くね。酒の席には“運”が転がっている、と思うから。運を断っちゃダメでしょ。数年前、萬田久子(54)から夜に電話がかかってきて、
「三郎さん、飲みにおいで」
「酔ってんな。俺にも飲ませろ。どこなんだ?」
「来られないわ。だって京都だもん」
すぐに新幹線に乗って、夜7時の電話から3時間後に京都の店の扉を開けたら、萬田久子はひっくり返ってましたわ。しゃれっ気で顔を出したけど、それぐらい酒で手は抜きたくないんです。
仕事がいつ来るかわからない不安な日々を送っていても、金には無頓着ですわ。貯金なんか一切考えたことないね。売れていない頃、芸人たちが集まって、あき竹城(65)によく飯を食わせてもらっていた時、
「あきさん、貯金ってさ、面倒くさいんだろ。実印とか、本籍地書いたりとか、手続きがいっぱいあって」
と真顔で聞いたからね、30歳も過ぎてるのに。それぐらい貯金に縁がなかった。じゃあ金がない時、飲み代はどうするかっていったら、女にたかってばかり。たからせるっていうのは、俺に魅力がないとダメだからね。必死で笑わせたりして、自分の魅力を作ったもの。だから若い役者が、「モテないんです」っていうのが嫌でね。女にモテることもできなきゃ、芸をやっていけねえし、役者としてダメってことでしょ。
仕事の調子がよくて、お金が回ってきたら、ツケがたまっている店に払ってチップも出して、おごってくれた女にごちそうした。そういえば、結婚して女房に家が欲しいって言われた時、ローンの相談をしていた銀行員に三文判はやめてハンコ作ったほうがって言われてさ。
金にはそれぐらい大ざっぱだけど、こっちは役者だから仕事があればそれでいいんだよ。これからも役者以外はやれないし、やる気もない。どれくらい納得したことができるのか。役作りもしないし、出たとこ勝負ですよ。台本を読んで作り上げて行っても、相手があること。考えたってしょうがない。常に現場が勝負の場ですわな。
まぁ、たまにはこういう役は俺には合わないからって断れるような役者になりたいけど、まだまだ10年早いでしょ。