季節の風物詩として男たちを歓喜させた「真夏のキャンギャル」というグラビア界の登竜門。ここから大女優に成長した逸材も多いが、同時に、平成30年間のトレンドを知る鏡でもある。その貴重な歴史をここに振り返る!
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キャンギャルの歴史は66年、前田美波里の資生堂ポスターから始まった。茶の間にいながら刺激的な水着姿が目に入ることは、本来の販促効果以上にインパクトを与える。以来、70年代にはアグネス・ラムや夏目雅子が、80年代には烏丸せつこや山口智子がブレイクし、夏の風物詩としてメディアを揺るがすこととなった。
そして平成に入ると、年に数十人レベルでキャンギャルが生まれる。水着メーカーやビール会社の2大横綱はもちろんのこと、航空会社や化粧品、家電メーカーまでもが入り混じり、バブル経済並みの繁忙期を迎えた。
「この流れに芸能事務所が目の色を変えたのは言うまでもありません。無名の新人にもかかわらず、連日のCMスポットに雑誌のグラビアまで勝手についてくる。新人の売り出し予算を半ばタイアップのような形で免除されるのだから笑いが止まらなかったでしょう」(芸能関係者)
もちろん、ひと夏だけの話題で消えてしまったモデルも少なくないが、飯島直子(89年、カネボウ)、かとうれいこ(90年、クラリオン)、武田久美子(93年、サッポロビール)が自慢の武器を惜しみなく披露し、シーンを盛り上げた。
艶系だけでない女優としても羽ばたく逸材も次々と登場する。
「鈴木京香(89年、カネボウ)は当時、仙台のローカル事務所に籍を置いていたが、異例の抜擢。バストの内側がノーガードとなっている変形水着が使用されたテレホンカードはとんでもない高値がついています。朝ドラからトレンディドラマ、さらに『家政婦のミタ』(日本テレビ系)まで女優としてのヒット作は数多い松嶋菜々子も、その原点は92年の旭化成キャンギャルでした。内田有紀(93年、ユニチカ)は、正面からのバストアピールが基本のキャンギャル界にあって、発している躍動感にあふれたヒップラインを推したのは画期的でした。また、藤原紀香(94年、アサヒビールなど)は、歴代の『ミス日本』受賞者の中でも屈指の黄金比ボディとあって、当然、各企業がほっとくわけもなく、計3社の顔となっています」(週刊誌記者)
ほかにも、大塚寧々(89年、カネボウ)、米倉涼子(96年、キリンビール)、井川遥(00年、アサヒビール)もキャンギャルを足掛かりにブレイク。その後の幅広い活躍は言うまでもないだろう。
そして日本経済は「バブル崩壊」という非常事態を迎えた。企業の広告費の象徴であるキャンギャルの生命線にも影響するかと思われたが、21世紀も需要は高まるばかりであった──。