投手にとっての輝かしい記録、ノーヒットノーラン。過去、甲子園の大舞台でこの快記録をやってのけた投手たちは、さすがにその後、プロ野球の世界で大成している例が少なくない。いわゆる“松坂世代”であるこの投手もその1人。1998年の第80回夏の選手権記念大会に鹿児島実のエースとして出場した杉内俊哉(元・読売など)である。
「まずは四球を出さないようにしたい。できれば三振もいっぱい取りたい。強気の投球をしたいです」
これは初戦の八戸工大一(青森)との試合前に杉内が記者の取材に対し、語った言葉である。そして試合開始。“とにかく先頭打者に気をつけること”“無駄な四球を出さないこと”という二つの心得を胸に、杉内は快投を展開していく。2回裏1死まで4者連続三振。3回は2三振、そして4回裏から5回1死まで、またも4者連続三振。好調な時はカーブで三振が取れるのが、この時の杉内の特徴だった。しかも八戸工大一打線はこのカーブにまったくタイミングが合っていない。だから、ボール球もドンドン振ってくる。前半5回を終了して築いた三振の山は二ケタの11。1球も外野には飛んでいなかった。まさに完全試合ペースの投球内容である。
この杉内の好投に打線も応える。3回表、先頭の7番・中尾知博と9番・杉内がともに左前打し、1死一、三塁のチャンスを作ると、1番・仮屋園慎哉が左前適時打を放ち、1点を先制。続く4回表には2死から6番を打つ杉内の女房役・森山泰がレフトへソロ本塁打。5回表にも1死から杉内みずからの二塁打をきっかけに四球、エラー、野選などが絡んで2得点。杉内の調子から考えて、この4点があれば十分だった。
6回2死まで完全投球を続ける杉内。次の18人目の打者として打席に立ったのが、5回から二番手としてマウンドに上がっていた松原好展だった。カウントは3ボール2ストライク。フルカウントの状況から真っすぐで思い切り三振を狙いにいった。だが、それが高めに抜けてしまった。四球である。完全試合”がなくなり、大きくざわめく甲子園球場のスタンド。杉内は、のちにこの試合を振り返って「6回くらいから、相当力が入っていた」と語っているだけに、四球を与えて逆に良かったのかもしれない。よけいな力が抜けたと思われるからだ。後ろで守るナインの緊張も相当だったに違いない。試合は4‐0。杉内はノーノーを継続したまま、9回裏を迎えるのだった。
その9回も先頭から2者連続三振。もちろん最後も三振で締めるつもりであった。だが、相手の1番・福士敬太に投じた真っすぐは狙ったところより、少し内寄りに軌道を描いていった。そのため、福士の打った打球はいい当たりのライナーというより、やや詰まった当たりのライナー性の打球となって、ショートへ飛んでいった。その打球をショートの小倉飛鳥ががっちりとキャッチ。ここにみごと、杉内はノーヒットノーランを達成したのである。投げた球数計104球、奪った三振16個。夏の甲子園では史上21人目の快挙であった。
その後、ノーヒッター・杉内擁する鹿実は2回戦で“平成の怪物”松坂大輔(中日)擁する横浜(神奈川)と対戦。春夏連覇を狙う強豪相手に好勝負が予想された。
期待通り、中盤までは息詰まる投手戦となったが、最後は地力に勝る横浜の前に0‐6で散ってしまう。しかも最後は松坂にトドメの2ランを浴びての撃沈であった。その6日後、決勝戦へと進出した横浜は、松坂が夏の甲子園史上2人目となる決勝戦でのノーヒットノーランという快挙を達成。史上5校目となる春夏連覇の偉業に華を添えたのである。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=