2007年に開催された第89回夏の選手権は、大会14日目にして最大の大一番を迎えていた。準決勝の第1試合でこの春の選抜優勝校と、ベスト8進出校の激突となったのだ。
選抜優勝の常葉菊川(静岡)は小技に頼らず、ドンドン強振する“超攻撃野球”が持ち味。投手陣も田中健二朗(横浜DeNA)、戸狩聡希という左腕二枚看板が安定しており、大会前から優勝候補の筆頭に挙げられていた。対する春の選抜ベスト8・広陵(広島)は初戦で優勝候補の駒大苫小牧(南北海道)に5‐4と9回逆転勝ちを収めて波に乗っていた。2回戦以降は野村祐輔(広島東洋)‐小林誠司(読売)のプロ注目バッテリーに好守好打の上本崇司(広島東洋)、強打の土生翔平(元・広島東洋)らのスターが引っ張る打線が4試合連続二ケタ安打を放っていた。さらにその試合運びもソツがなく、余裕の勝ち上がりを見せていたのだ。
試合は波に乗る広陵が先制パンチを見舞った。1回表、簡単に2死を取られたものの、3番・土生が右翼席に飛び込む先制ソロを放ち、まず1点。さらに2回表には先頭の6番・林竜希の左前打に犠打野選を絡めてチャンスを拡大させると8番を打つエース・野村がスクイズを決めて2点目の奪取に成功したのだった。
こうなると早い回に広陵の野村を捕らえたい常葉菊川。その裏に4番・相馬功亮の二塁打などで2死一、三塁とすると打席には8番ながら3回戦の日南学園(宮崎)戦で代打同点3ランと延長戦でサヨナラヒットを放っている伊藤慎悟。だが、このビンチで野村は冷静だった。得意のスライダーで伊藤を空振りの三振に仕留め、相手の反撃を許さない。
こうなるともう試合は広陵のペースであった。4回表には6番・林と7番・有水啓の連打に内野ゴロを絡ませて3点目。投げては野村が冷静で巧みな投球術を展開し、相手打線を翻弄。6回まで散発の5安打に抑えていた。
一方、なんとか反撃したい常葉菊川は7回裏2死から8番・伊藤がライトオーバーの三塁打で出塁。するとここで常葉菊川ベンチが動いた。ここまで好投のエース・田中に代えて代打・山田京介を送ったのだ。しかし、ここでも野村が立ちはだかった。結局、山田は空振りの三振。常葉菊川、エースへの代打策も実らない。
すると、直後に広陵が突き放しにかかる。8回表には先頭の2番・上本の左前打からチャンスをつかむと、今大会初めて4番に座った山下高久雅が常葉菊川の2番手・戸狩からスクイズを決め、ダメ押しの4点目を奪ったのだ。
広陵はその裏、無死から四球と連打で1点、9回裏にも2死無走者から3本の長短打を集め、2点を返したものの、時すでに遅し。最後は2番・好打者の町田友潤が三塁ゴロに倒れ、万事休したのであった。
春の王者が最強の挑戦者に屈した形となったこの試合、その立役者はやはりエース・野村である。球速100キロそこそこのチェンジアップに沈むスライダー。ボールになる球を生かした組み立てだった。強打を誇る常葉菊川の打者は強振すればするほど、この術中にはまっていったのである。野村とバッテリーを組む捕手の小林も「思い切って振ってくる打線だから、各打者に必ず内角への球を意識させた。沈むスライダーを生かすために、スローボールも効果的だった」と胸を張っていた。
こうして春の王者を撃破して堂々の決勝戦進出を果たした広陵。続く準決勝第2試合の対戦カードからして、優位は動かないと思われた。だが、最後の相手となったのは佐賀北。この大会、“がばい旋風”を巻き起こしていた無名の公立校である。そして試合はまさかの展開に。4‐0とリードしていた8回裏に歴史的な大逆転劇を食らってしまったのだ。広陵はV候補を2チーム倒すも、最後の最後は旋風に飲み込まれてしまったのである。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=