「上原浩治(38)がメジャー流出した際も、引き止められなかったとの理由含みで、報知の担当記者が外されている。上原と仲のいい松井は『また同じことをやっている。やり方が汚い』と憤慨していたそうです。結局、先の広岡氏とデスク、そしてこの担当記者の3人とも退職してしまった。読売と巨人に不信感を募らせた松井は今回の監督オファー計画の動きにも『巨人に戻っても、また(自分の)周りの人間がどういう扱いを受けるかわからない』と苦悶していたといいます」
自分が周囲の親しい人物を巻き込む形となった結果に心を痛めていたことを黙って見ておきながら、引退したら「ウチに戻ってこい」というのはムシのいい話だ、というわけだ。
しかし、巨人はそんな事情など忘れたかのように、なりふりかまわない。広岡氏が巨人から「球団代表付きアドバイザー」のオファーを受け、4月1日付で就任。「身内」が取り込まれ、松井氏は外堀を埋められた。それがかえって松井氏の態度をかたくななものにしそうな気もするが‥‥。
両者の間の深い溝は、また別の「事件」でも生まれている。
02年のFA権取得で、巨人は猛烈な引き止め工作を仕掛けた。前出・球団関係者が言う。
「シーズン中にミスター、(当時の指揮官だった)原監督、松井の3人で食事をし、残留してくれるよう口説いたのです。『一緒に9連覇を超えよう』という殺し文句も繰り出されました。この時の感触から原監督はフロントに『松井は残ってくれるんじゃないか』と報告。一方のミスターは逆に『恐らく残らないだろう。親の夢をいつまでも子供に預けるのもどうか‥‥』と、松井の本心をくみ取って進言したといいます。結局、ヤンキースに移籍したことで原監督が『俺が止めにいったのに出ていって‥‥』と、陰で不満を言っていたことが松井の耳にも入ったそうです」
だからなのか、
「原監督の下でヘッドコーチという要請は受けないと思う」(前出・デスク)
ところで、こうした監督就任要請について松井氏は、
「この話は02年に終わったことでしょ」
と周囲に漏らしているという。どういうことか。
「実はこの年の残留交渉で、将来の監督就任という条件が提示されたのです。しかし、松井の最終的な返事が『FAします』だった。松井の中では、究極の条件提示を蹴ったというある種の決別であり、以降、巨人の監督をやるというのは人生設計にはなかった。だから、もう終わった話だとの認識なのです」(前出・球団関係者)
そして、この結果に立腹した渡辺会長は松井氏を批判。松井氏がFA会見で、「裏切り者と呼ばれるかもしれませんが‥‥」という言葉を吐いたのはそのためで、両者の確執が浮き彫りになった瞬間でもあった。