渡辺会長、森氏双方の思惑が合致し、本人の知らぬ間に包囲網は進んでいく。
「何より松井の恩師であり、国民的スターのミスターと一緒にと言われれば、国民栄誉賞を断ることなどできません。受賞はきわめて誇らしいものですが、やり方としては足元を見られた、ある意味、屈辱的な強要ですね。授与式は通常、総理官邸でやるもの。王貞治氏、衣笠祥雄氏、高橋尚子氏、なでしこジャパンといったスポーツ選手たちも皆、官邸で受けた。競技場でやるなんてことは過去にありません。これも渡辺会長が仕組んだ遠大な囲い込みプランの一部でした」(スポーツ紙デスク)
読売と巨人は、セレモニー出席のために一時帰国する松井氏に渡辺会長との面会、挨拶に臨んでもらい、握手をするなごやかな光景をマスコミに撮影させたいと考えた。そして「ナベツネ・松井極秘会談」がセッティングされる─。前出・読売グループ関係者が語る。
「円満をアピールしようとしたのは、『松井監督』に向けての最大の障壁が、ほかならぬ松井本人にあるとわかっていたからです。関係をどうにか修復し、再び巨人のユニホームを着てもらう。そして極秘会談でのオファーは『来季から原監督の下でヘッドコーチをやってもらいたい。かつてミスターの下で原監督がそうであったように。あるいは巨人の提携先球団、ヤンキースにコーチ留学するか。いずれ監督になってもらうから』と‥‥」
事実、巨人と松井氏の間は長らく大きな確執で分断されており、暗躍する森氏が介在しての読売サイドからの監督強要を伝え聞いた松井氏は、難色を示していたという。
この確執の詳細を、前出のデスクが明かす。
「まず、ヤンキースにFA移籍する02年のユニホーム胸ロゴ騒動。巨人はビジター用ユニホームのロゴを『TOKYO』から『YOMIURI』に変えた。『巨人軍は読売新聞のためにあるのではない。ファンのものである。球団は親会社の宣伝媒体だったけど、野球界が成熟してきた現在、状況は変わった』との意見を持っていた松井の、やや批判的な談話を読売系列のスポーツ報知の担当記者が記事にしました。渡辺会長はこれに激怒。さらに松井のFA流出を止められなかったことも関係してか、この担当記者とデスクは巨人担当を外れ、異動となりました」
この時の担当記者は、のちに松井氏とともにメジャーへ渡り、広報担当として行動を共にする広岡勲氏。松井氏が厚い信頼を置くブレーンだった。