昭和という時代は「恋多き女」こそが女優としてのステイタスだった。だがそのドロドロぶりは、ワイドショーを巻き込んだ「劇場型」がその主な舞台となっていく。ランキングでさっそく振り返ってみよう。
まだ「魔性」という言葉が一般化する以前に「プッツン」で知られたのが、石原真理子(56)=現・真理=だ。80年代にヒットした連ドラ「ふぞろいの林檎たち」(TBS系)で人気になり、その後はスキャンダル交際報道が相次いだ。06年には前代未聞と言える9人の実名を挙げた著書「ふぞろいな秘密」(双葉社)を刊行。「THE芸能スキャンダル!」(徳間書店)の編者でコラムニストの峯田淳氏がこう語る。
「名前が挙がったのは玉置浩二や明石家さんま、ドラマの共演者らですが、この時に英語で記者会見を開いて騒然となり、その後、本が映画化された際、石原は本の内容を否定、マスコミを翻弄しました」
米国人と結婚、玉置との婚約騒動とお騒がせが続いた。石原が10位にランクされるのは順当だろう。
9位は年下キラーで知られる藤真利子(64)。86年に30歳だった藤は当時、弱冠22歳だった近藤真彦と女性誌で対談したのをきっかけに親しくなり、「マリコさん」「マッチ」と呼び合う仲に。当時マッチは中森明菜との交際が噂され、いわば三角関係のバトルに発展。マッチと別れてからも年下男性との交際が報じられ、一方で深作欣二監督、萩原健一らの名前も取り沙汰された。
8位の十朱幸代(77)は59年、16歳で出会った歌手の小坂一也と交際が始まり、75年まで事実婚を続けたが、略奪される。相手は松坂慶子だった。その後は藤真利子の上を行く年下キラーぶりを発揮。相手は竹脇無我、西城秀樹、原田龍二らと交際を重ねていく。西城の母親には「孫を生めない嫁はいらん」と反対されたいわくもあった。
7位は十朱から小坂を奪った松坂慶子(67)だろう。79年の連ドラ「水中花」(TBS系)ではバニーガール姿でテーマ曲の「愛の水中花」を歌って男の股間を熱くさせたが、略奪はその前に発覚した。
「小坂とは結婚を前提につきあい、2年で別れました。それから間もなく映画『道頓堀川』で深作欣二監督と出会い、二人の仲は映画関係者の間では公然の秘密でした」(ベテラン芸能記者)
6位の山本陽子(77)はスキャンダルに巻き込まれた女優の筆頭だろう。最初は78年のドラマ「白い巨塔」(フジテレビ系)の主演だった田宮二郎の散弾銃自殺に端を発した。
「遺書も発見され、躁うつ病の末の自殺だったと言われているのですが、マスコミはあることないことを書き立てた。巨額の借金をしてM資金話に乗せられたとか、自殺の背景に愛人問題があったと言われ、山本の名前が取り沙汰されたのです」(ベテラン芸能記者)
83年には21歳も年の離れた沖田浩之との交際が騒がれる。二人は恋愛を否定したが、怒った沖田の母が「息子をどうするつもりか」と詰め寄ったこともあり、その後、破局。95年に一般女性と結婚した沖田は99年に首つり自殺し、この世を去った。
5位は「逃避行」という言葉が一時、流行するほどだった高橋伴明監督夫人の関根恵子(65)=現・高橋惠子=。15歳のデビュー映画「高校生ブルース」で鮮烈ヌードを披露して一躍時の人になったが、作家の河村季里氏と恋に落ち、79年の主演舞台「ドラキュラ」をすっぽかして失踪してしまう。原因は三角関係と言われ、みずみずしいヌードとのギャップでその魔性ぶりが浮き彫りになった。
4位は「魔性の女」を象徴する名言で知られる樋口可南子(61)だ。82年、当時コピーライターとして引っ張りだこの糸井重里氏との不倫が明るみに出るが、樋口は決然として「妻子ある人を好きになったんじゃない。好きな人にたまたま家庭があった」と言い放ち、一歩も引かなかった。結局、正妻の座を射止め、今も夫婦仲は円満だ。