芸能人は俳優であれ歌手であれ、危険な魅力を発散するほうがいい。ただし、それによってスキャンダルが生じることも背中合わせであるが…。
78年12月28日に猟銃で自ら命を絶った田宮二郎(享年43)は、晩年に山本陽子(74)と男女の関係にあったのではとささやかれた。山本は田宮没後の会見で否定したため、真相は藪の中。
それから21年後、自宅で首をつったのが沖田浩之(享年36)である。沖田と山本は21歳差を超えて恋人宣言をしたこともあったが、くしくも山本は、2人の“関わったオトコ”を失ったことになる。
こうした「死の連鎖」で共通するのは藤あや子(55)と荻野目慶子(52)の2人。
「藤あや子は20歳で結婚し、女児も産んだが、翌年に離婚。やがて元夫が自殺した。さらに藤のデビュー後には、不倫関係にあった担当ディレクターが藤の自宅で自殺するというショッキングな報道もありました」(芸能レポーター)
荻野目は妻子持ちの映画監督と不倫に陥り、別れ話から監督は荻野目のマンションで首つり自殺。ようやく失意から立ち直った荻野目の復帰作を撮った深作欣二監督と、またもや愛人関係に陥っていく。
荻野目は著書で、深作がガンに侵されながらも「抗ガン剤を使えばお前を抱けなくなる」と治療を拒否し、死期を早めたことを明かしている。
魔性の女に死の影は付き物だが、自身があわやの危機に陥ったのは弘田三枝子(69)だ。77年1月25日、弘田は不倫相手の妻から背中を果物ナイフで3回、刺された。幸い、大事には至らなかったものの、芸能界を一時引退。渡米先で別の相手と不倫し、子供まで産んでしまう事態に。
さて、魔性の女たちの「名言録」を拾ってみよう。91年には尾崎豊と、93年には川崎麻世との不倫が発覚した斉藤由貴(50)はポツリと言った。
「前の人とのことがあったにもかかわらず、学ばない人間なんだなと自分のことが悲しいです」
結果的に糸井重里氏との略奪婚になった93年の樋口可南子(58)は「好きになった人に、たまたま奥さんがいた」と、夫に負けないコピーセンスを発揮。
同じく真田広之との不倫が騒がれた95年の葉月里緒奈(41)も「奥さんがいても平気です」と言い放ったが、ほどなく破局へ。
06年に国会議員との路上キスが発覚した山本モナ(40)は2年後、「不倫のようなことは2度としません」と宣言した直後に巨人・二岡智宏との「ラブホ不倫」が見つかってしまう。
さて、恋多き女として知られる高岡早紀(44)は、こんなポリシーを豪語する。
「相手が(私を)100%嫌いでも好きにさせる」
この自信がフェロモンの発生源となる。最後に若手女優で魔性を誇る蒼井優(31)の仰天エピソードを。
「個性派俳優の鈴木浩介と、蒼井が猛アタックして交際する仲に。鈴木は結婚を視野に入れてお互いの両親に挨拶し、月50万円で新居マンションのローンも組んだんです。ところが、そのとたんに『好きな人ができた』のメールだけで破局となりました」(前出・芸能レポーター)
ただし、女優としての需要は高まるばかりだ‥‥。