「日活ロマン映画」の歴史は、昭和が終わる88年にいったん幕を閉じている。その掉尾を飾ったのが、アイドル女優・かとうみゆき(53)だった。
─芸能界に入ったのはいつ頃?
かとう 16歳でしたので、83年ですね。雑誌モデルなどをやりながら、やがて女優業も始めました。
─初期のキャリアで光るのが、中山美穂主演で大人気となった「毎度おさわがせします」(85年、TBS系)ですね。
かとう はい。私はミポリンが演じた森のどかの親友役で、いつも木村一八らの男子グループとケンカしていました。
─そこからロマン映画へ転身を?
かとう いや、実はその前に宇宙企画から何本か作品が出ているんです。
─ええっ! 艶系ビデオから日活とは珍しいケースですが。
かとう 秋元ともみちゃんや麻生澪ちゃんと同じで、いわゆる「宇宙少女」の一員だったので、カラミはごくごくソフトでした。むしろ私はシナリオを自分で書くようになって、そっちのほうが楽しかったです。
─そして日活デビューの「ラスト・キャバレー」(88年)は、今や巨匠たる金子修介監督がメガホンを執った。
かとう 実は私がシナリオを書いた「遊び足りない子供のように」って(艶系)ビデオを監督がたまたまレンタルして、それで私にご指名が来たんですよ。金子監督にとって、女優を指名したのは唯一だったそうです。
─「ロマン映画」に出るということに、周囲の反響はいかがでした?
かとう 正直、「いまさらなんで出るの?」と言われました。ただ、金子監督や、お父さん役の大地康雄さんとも巡り合えたし、私はよかったと思っています。大地さんって、この映画の時はまだ30代なのに、50代という設定。まったく違和感がなかったですけど(笑)。
─名優の貫録ですね。アドバイスはありました?
かとう いえ、むしろ「みゆきちゃんはカンがいいから」と言っていただいて、自信になりました。
─ロマン映画としてのカラミはいかがでした?
かとう 私は初演ということもあって、大学生の恋人と2回だけだったんです。濃厚な場面は風祭ゆきさんなど、助演の方々がフォローしてくださいました。
─この作品の公開からほどなく、「日活ロマン映画」は終了します。
かとう 作品の内容も潰れてしまうキャバレーを描いていたので、なんか寂しさがシンクロしましたね。金子監督には「ロマンポルノがもっと続いていれば、キミはスターになれた」と言われました。
─その後は女優業と並行して、「終活」をテーマにした著書などの執筆活動も精力的です。
かとう 書くだけではなく、実は私、電子写真集も出したばかりなんです。ちゃんと(服を脱いだ姿の)撮り下ろしもありますよ。
─おおっ、五十路とは思えぬトランジスタグラマーぶり。買わないという選択肢はないですね。
かとう 成熟した女性の魅力に目覚めていただけたら(笑)