心境の変化は、作品にも表れている。
歌手・吉幾三といえば「雪國」や「酒よ」といったカラオケの定番の演歌から、元祖和製ラップの金字塔としても評価されている「俺ら東京さ行ぐだ」のようなコミックソングまで、実に幅広いジャンルの音楽に携わってきた。
しかし、唯一ラブソングだけは、手がけてこなかった。だが、今秋以降に発売される闘病後初のアルバム「ノージャンル 吉幾三 愛をこめて(仮)」(徳間ジャパンコミュニケーションズ)は、初めてラブソングに挑戦した意欲作だ。
「タイトルどおり、ジャンルにまったくこだわらずいろんなラブソングを収録したもの。実は僕ラブソングを書くのは初めて。男から女へ、そして女から男へ、故郷を思うラブソング、被災地を思うラブソング、そこに愛があればどんなテーマでもラブソングになるのだから」
さらに、妻に向けてのラブソングも初めて歌った。
「今度の新曲『男だろう(仮)』(10月2日発売予定)のカップリング曲は『別れの時は』というタイトルで女房に向けて書いた曲。僕が亡くなってもお前は俺が生きていた時以上に楽しく生きてくれ、いつでもどんな時でも遠くにいても、俺はお前も守っているから‥‥と、彼女への思いを詞に託した」
そんな吉にとって、欠かせないのが、酒の存在。病気になってからは飲む量も減ったというが、実際はどうなのだろう。
「体が悪くなるまではバランタインの30年なんかをストレートで飲んでいて、一晩で一本空けるなんてざらだった。スコッチが好きでシーバスリーガルもよく飲んだ。今は炭酸で割ってハイボールにして飲んでる。(医者の)先生には『お酒はほどほどに』と言われているから。そうしたらまた女房が何て言ったと思う? 『先生、うちの人のほどほどは、先生の二日酔いになる量ですよ』って。よけいなこと言うんじゃない! ってね(笑)」
ちなみに大ヒット曲「酒よ」の誕生の裏には、こんなエピソードがあったことをご存じだろうか。
「『酒よ』は、もともとは千昌夫さんに歌ってもらうつもりで書いた曲。だけど当時の千さんの心情とあまりにもピッタリで、千さんが『すごくいい曲だけど、ボロボロ泣きそうで歌えない』と言う。次に酒を飲みながら山本に聴かせたら『これいいなあ~』と本気で歌う気になってね。これはヒットすると思った。なら俺が歌おうって思ったわけ(笑)」
不動産王と呼ばれながらバブル崩壊の憂き目にあい離婚騒動の渦中にあった千と、事務所の関係で歌えなかった山本の事情もあり、「酒よ」は吉本人が歌って大ヒット。87年、第29回日本レコード大賞作曲賞も受賞した。
「これからも曲ができたら、必ず2人に聴かそうと思ってね(笑)」
吉は冗談めかして言うが、新作も真っ先に2人のもとに届けられるに違いない。さらには、被災地に対する思いも人一倍強い。
「今年も来年もまた被災地に歌を届けたい。去年は多賀城で夜遅くまで何百人分の料理を大きな寸胴2つ分作って、石巻と南三陸町に行きました。仮設住宅も訪問しました。新しい形で被災地の皆様が住める街づくりの手助けができればと思っています」
最後に吉はとてつもなく大きな夢を語ってくれた。
「ジャンルを超えてさまざまな音楽を作れる作曲家になりたい。僕の最終的な夢は、クラシックを作ること。生きている間に、歴史に残る1曲を作りたいんだ」
下血、そして心臓疾患を経験し無事生還を果たした吉幾三。デビュー41年目の新たな挑戦に心からエールを贈りたい。