当時のアイドルにはキャッチフレーズがつきもの。CBS・ソニーで宣伝を担当した西岡明芳が当初考えたのは「抱きしめたい!」だった。それが最終的に「抱きしめたい! ミス・ソニー」となったのは、社内で聖子を推す声が増えてきたからだ。
そこに再びアクシデントが襲う。デビュー曲「裸足の季節」は資生堂とのタイアップが決まり、歌詞と商品名がリンクする「エクボ洗顔フォーム」のCMにも出演する予定だった。立ち会った西岡が回想する。
「CM用のフィルムも撮っていたし、十分にかわいく映っていたよ。しかし残念なことに、彼女にはエクボがない。そのためクライアントが難色を示し、別の子が出演することになった」
西岡たちは、あやうく曲まで消えそうになったのを、再三の説得でなんとか残してもらった。その結果、歌声だけは大量にオンエアされたのである。西岡は曲名にちなみ、裸足でプロモートに駆けずり回ったという逸話を残している。
デビュー曲を手掛けたのは、新進の作曲家・小田裕一郎だった。小田は、聖子の印象をこう語った。
「高音部が豊かな声量できちんと出るのはもちろん、低音部の発声もすばらしかった。低いパートって、ともすれば宝塚歌劇のような仰々しい歌い方になったりするけど、彼女はハスキーで魅力的な声が出た」
そして小田は、聖子のセールスポイントとなりうる「聖子節」の完成に取りかかる。
「バイオリンやフルートには『スラー』という演奏記号があって、いくつかの音符を弧でくくり、音と音をなめらかにつなげる。イメージとしてそんな歌い方をやらせてみたんです。ひとつひとつの音に対し、両側からすべらせながら歌うという感覚。これができることによって、例えば3作目の『風は秋色』に『あなたのせいよ』って歌詞があるけど、これが『~SAY YO』と洋楽的に聴こえる効果をもたらした」
圧倒的な聖子の音感がそれを可能にした。ところが、そんな聖子が音を上げた瞬間がある。4枚目のアルバム「風立ちぬ」(81年10月)だ。A面を当時「A LONG VACATION」が大ヒット中の大瀧詠一がプロデュースしたことで話題になったが‥‥、若松が振り返る。
「正直、大瀧さんのメロディーは最後まで決まっていなかった。だからレッスンさせて聖子の歌声を聴きながら、どんどんと曲調が変わっていく。これにはさすがの聖子も『もう大瀧さんの曲は歌いたくない』って珍しく弱音を吐いたよ」
デビュー以来の過酷なスケジュールがピークに達したこともあり、聖子自身の声も疲れ果てていた。もっとも、シングルカットされた「風立ちぬ」は、そんな舞台裏を感じさせないほど完成度の高い楽曲に仕上がり、秋の名曲として今も親しまれている。
(石田伸也)