かつて誰もが憧れ熱狂した日活映画。その黄金期を支えたのはカリスマ性あふれる俳優陣だが、銀幕の外ではどんな顔を持っていたのか。「孤高の天才」として知られる故・中平康監督の長女で「旭とルリ子 二人いるから日活だった」を上梓した作家・中平まみ氏が「日活映画スター」の真相を明かす。
今年7月で80歳を迎える浅丘ルリ子(79)。最終回が放送された倉本聰脚本のテレビ朝日開局60周年記念ドラマ「やすらぎの刻~道」(19年4月8日~20年3月27日)では、元夫の石坂浩二(78)と共演したことも話題となった。
「ルリ子は結婚前『体育会系の男っぽい男性が好きだから、好みではなかった』と言っていた。やっぱり、ルリ子には『運命の人』である小林旭(81)と一緒になってほしかったな、と今でも思っています」
そう話すのは、日活で数々の名作を生み出した今は亡き天才・中平康監督の長女である作家の中平まみ氏だ。
なぜ二人は「運命の人」なのか。まずは、浅丘の過去からひもといていこう。
54年、日活映画「緑のはるかに」のオーディションに応募した浅丘に目をつけたのは、作品の挿絵を描いていた中原淳一だった。
「『ルリ子役は、この子しかいない!』となり、最終選考では彼がみずからルリ子のおさげ三つ編みの長い髪を切り、目にアイラインを入れたそうです」
翌年、この映画で鮮烈な銀幕デビューを飾った浅丘は、以来、美少女から人間味あふれる女性まで、さまざまな役柄を望んで演じ、日活の看板女優となる。
「ルリ子には強靱なる女優魂が宿っており、『同じ役柄ばかりじゃつまらない』と挑戦し続けていました。日活映画の中で、彼女は優雅でたおやかでありつつ、毅然として強かった」
浅丘の芯の強さを象徴する、こんなエピソードがある。
「演技が気に入らないと、演者に灰皿を投げつけることで有名な蜷川幸雄演出の舞台で稽古をしていた時のこと。ルリ子は『灰皿なんか投げたらアタシ帰っちゃうから!』『サヨナラッ!』とサッパリとした物言いで稽古を終えて帰るルリ子にもともとファンだった蜷川はシビレたそうです」
その小股の切れ上がった態度とすがすがしい物言いに蜷川が一層ゾッコンになったのは言うまでもないが、最近、中平氏もまた、浅丘の気っ風のよさを肌で感じたという。
「『旭とルリ子』が出来上がったので献本贈呈しました。するとほどなく、ある日の夕方、電話がかかってきたんです」
「もしもしあたくし」
「ルリちゃんでしょッ」
「この本が出たこと、非常にうれしいわ」
独特のハスキーボイスでそう告げられたという。
「感謝から始まって激励もされ、私が本の中で『最近は厚化粧』と書いたことを指摘されたので謝ると、さわやかな口調で『妹にも、お姉さんもっと薄化粧にしていいんじゃない? と言われるけれど、でもあたし、舞台をするようになってそうなったし、濃い化粧が好きなのよね』と」
そうした生身の浅丘と触れた中平氏は「吉永小百合(75)とは、何もかも正反対ですね」と指摘する。
60年代、青春映画のヒロイン役として日活に多くのファンを呼び寄せた功労者の一人である吉永。近年では揺るぎない国民的女優としての座を確立し、その存在感は神々しささえ漂う。
「本人はよく『プロじゃないんだ』と自嘲気味に自分を評していました。それはルリ子のプロ根性と自分との比較が念頭にあったのでは、と思うんです。それに私は以前、小百合の本を書こうと思っていたので、親交のあった彼女に打診すると『私が死んだら』とひと言。それでも11年に『小百合ちゃん』(講談社)を出版したんですけど、それから全く音沙汰なく、絶縁状態になってしまいました」
吉永と浅丘、懐の深さにおいても浅丘に軍配が上がるようだ。