ビートたけしや西川きよしのように、今もテレビに出続けるブームの主役たち。一方で、過酷な運命をたどった人気コンビもいた。
MANZAIブームを語るうえで、マシンガンさながらの怒濤のツッコミで一世を風靡したのが島田紳助・松本竜介だった。
「この程度のことでもアウトなんです」
11年8月23日、暴力団関係者との「黒い交際」を理由に、島田紳助(64)は引退記者会見を開いた。相方だった松本竜介は06年4月1日、46歳の若さで世を去っているが、それから5年後に紳助が芸能生命を終えた。
去る1月13日、親しいmisonoのYouTubeチャンネルにゲスト出演したが、今も復帰は考えていないようである。
一足先にブレイクしていた星セント・ルイスは、ブームを決定づけた「THE MANZAI」にも初期の80年に3回出演しているが、横澤彪プロデューサーと意見が合わなくなり、ブームそのものに背を向ける形となった。またビートたけしとの不仲も演芸ファンには広く知られている。
長身のセントは04年7月22日に、小柄なルイスは05年3月10日に、奇しくも同じ56歳で、相次いで世を去った。
ブームの女流漫才師として実力No.1は、今いくよ・くるよで異論がないだろう。高校時代からの同級生で、巨漢のくるよが痩せ気味のいくよの厚化粧をからかうのが持ちネタであった。
いくよは15年5月28日に他界したが、所属芸人としては初めて「なんばグランド花月」でお別れの会が執り行われている。
実力派の人気コンビでありながら、誕生から終点まで波乱に満ちていたのが太平サブロー・シローである。もともとレツゴー三匹に師事した松竹芸能の所属であったが、吉本興業への移籍を希望。当時は容易でなかったが、師匠はその気持ちをくんで「破門」という形で吉本に送り出している。
ただし、88年に吉本を離れ、東京に進出して事務所を構えるが、この頃からコンビ仲にヒビが入り、92年に解散。その後、それぞれ吉本に復帰するも、溝は埋まらぬまま、シローは12年2月9日に永眠。残されたサブローは上沼恵美子のよきパートナーとして番組共演の機会が多い。
「ホ~ホケキョ!」「誰が津川雅彦やねん」など、芸が過激すぎて吉本興業の林正之助会長にまで嫌われた伝説を持つのが西川のりお・上方よしおだ。ブーム終焉とともに90年に解散したが、94年に再結成。今も吉本の劇場を中心に、キレのいい漫才を聞かせている。