一方、日本最初の独立系制作会社のテレビマンユニオンで番組制作に携わったあと、大学でメディア論を講じてきた、碓井広義・上智大学教授の見方はかなり辛辣だ。
「紳助さんのあの引退会見で覚えているのは、引退の花道に臨んだ際の大芝居ぶりですね。言い分としては、本来は謹慎で済むものを、あえて引退の道を選んだと語った。そして、それを『美学』という言葉で表現した。後輩に身をもって示すのだと。ところが、仮に芸能界に居続けても、イメージダウンの逆風が渦巻くのは当の本人がいちばんよくわかっている。だから、散り際のイメージ作りを切腹の介錯になぞらえる形で演出したということでしょう。だが、はたして、そんなきれい事なんでしょうか‥‥」
今となっては美談仕立てで語られる引退会見にもまた、大物芸人ならではの「周到な計算と打算」がかいま見えたと言うのだ。
「実際、紳助さんがいなくなって(テレビ局は)どうでしょう。申し訳ないけど、特に変わったこともない。つまり、番組の中身自体がしっかりしていれば、視聴者は見続けるということです。引退の前後には、いなくなったら大変という空気がありましたが、実は、紳助さんがそういうイメージ作りをするのが巧みだっただけで、また、周りもそのほうが楽だったんでしょう。テレビというものは皆で作るもので、最初は看板としてのタレント性が必要でも、ある力学で番組が動き始めると、際立ったタレントはむしろ害にすらなりかねないんです」
また、紳助の成功によって一般化した「タレントキャスターの功罪」についても手厳しい。
「社会に対する関心を視聴者に植え付ける呼び水となったという意味では、ニュース・報道番組の垣根を下げたと言えるでしょう。その一方で、本来はプロフェッショナルが行うべきテレビジャーナリズムの価値も下げてしまったのではないでしょうか。紳助さん以後、キャスターの『役』を演じる人が前面に出るようになり、『キャスター』の信頼度が揺らいできた」