1月に「ザ・ベストテン」がスタートし、4月にキャンディーズが後楽園球場で解散。12月には田宮二郎が衝撃の猟銃自殺をした78年──音楽シーンには“新しい波”が押し寄せた。
真子と同じ日にレコーディングをしていたサザンオールスターズや世良公則&ツイスト、原田真二、ゴダイゴ、渡辺真知子、八神純子らがチャートの主役に躍り出たのだ。それまでテレビを拒否していたフォーク&ロック勢が自由にメディアを使いこなすことにより、割りを食った形になったのが「正統派のアイドルたち」であった。
78年から79年は、アイドルが「冬の時代」と呼ばれた最初の周期になるが、ここにデビューした石野真子は左右されることなく“100万ドルの微笑”というキャッチコピーを守った。
「誰に対しても分け隔てなく、すごく親しみやすかった。あれだけ難産だったレコーディングでも『ハイッ!』と『もう1回やります!』の素直な返事しか口にしなかったですから」
谷田は、1作ごとに表現力を増してくる真子の歌声に、素直な性格がプラスに作用したと感じた。
そんな真子のデビュー翌年、TBSの「熱愛一家・LOVE」で初めてドラマの世界に足を踏み入れる。主演の森光子が女手ひとつで4姉妹を育てる物語だったが、その末っ子という役どころ。演出した鴨下信一は、真子との出会いを思い出す。
「ドラマに抜擢することは決まっていたけど、僕は初めての人には、あるテストをするんです」
鴨下は真子と喫茶店で雑談し、先に真子が出口に向かう。そこで大きな声で「真子ちゃん!」と呼び止める。突然のことに、どんな表情を見せるのか──、
「すごくナチュラルな笑顔を見せてくれたんだよね。その顔がよかったので、このドラマにおける彼女は成功だと思った。彼女だって、ああいう自然な表情でやればいいんだと思ったはずだよ」
近年の真子はドラマなどの女優業が中心だが、その展開にも鴨下は協力している。看板プロデューサーの石井ふく子から「およめちゃん」(TBS、80~81年)を始めると聞かされ、若い娘役に真子を推薦した。
「僕は石井ふく子のドラマにとって若手の供給源だから。チータ(水前寺清子)も泉ピン子もそうだったけど、真子ちゃんも芝居に向いていると思ったんだ」
プライベートでは2度の結婚・離婚に実家の焼失、さらに母親と担当マネジャーの再婚など穏やかならざる日々が続いたが、35周年を迎えた今、再びアイドル時代と同じように各地のファンのもとを記念ツアーで訪れている。
そんな真子から2カ月遅れで「右向け右」でデビューしたのが石川ひとみだった。レコード制作に携わったディレクターの大輪茂男は、実はあまり乗り気でなかったと言う。
「担当して軌道に乗った矢先の木之内みどりが失踪して、もうアイドルはやりたくないと思ったんです」
それでも大輪は、音楽屋の“サガ”としてひとみに向き合った。