純愛青春映画「愛と誠」(74年・松竹)で、鮮烈デビューを飾った早乙女愛。滞在先のアメリカで多臓器不全のために逝去したのは今から3年前。彼女を難しい役柄に起用した巨匠監督が、「迫真の艶技」を振り返った。
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74年、梶原一騎氏原作マンガ「愛と誠」のヒロイン役として、当時、人気絶頂だった西城秀樹と共演。役名と同じ芸名が象徴するように典型的な、“清純派”としてファンに支持された早乙女。その彼女が、「女猫」(83年・にっかつ)で、大胆な濡れ場を演じた時は、世間の耳目を集めたものだが、さらに女優開眼とでも言うべき出演作となったのが、85年の巨匠・中島貞夫監督作品「瀬降り物語」(東映)であった。日本古来の「山の民」の生活を描いたこの映画で、メガホンをとった中島監督が、早乙女の印象をこう振り返る。
「あの映画は、スタッフ・キャストが(ストーリー上)四国山中のプレハブに籠もって撮った作品。どちらかと言うと、都会的なイメージの早乙女さんだから、最初は『大丈夫かな?』とも思った。食べ物も町なかみたいにちゃんとしてない、ホントに過酷なロケ現場だったからね。確か、秋のシーンがあったから(現場には)2シーズンくらいは籠もってくれたと思う。その中で、彼女は思った以上に、溶け込んでくれました。特に内藤(剛志)君との息が抜群に合っていたね」
早乙女が演じたハナは、内藤演じるカズオの妻。が、“山の民”役ゆえの演じにくさがあったという。中でも、難しいと思われたのが、山中でカズオを初めて迎える、儀式的な「初夜シーン」。が、早乙女は、純白の裸体をさらしながらも厳粛な演技を見せてくれたという。
「(慣習上)不倫は絶対に許されないという夫婦。山中でむつみ合いながらも、厳格な初夜を演じきった。その他にも、山の中を文字どおり走り回るなど、それまでの彼女のイメージとは違った演技に応えてくれたと思う」
この作品を一つの機会に、女優として一皮剥けた感のある早乙女だったが、同年の結婚、97年の出産を境にプライベートとの両立を図るようになる。出産3年後の00年には、芸能界を引退して渡米。その10年後、まさに女盛りの中、旅立ったのであった。