85年に誕生した「おニャン子クラブ」は、放課後のクラブ活動をイメージし、アイドル界の勢力図を塗り変えた。筋金入りのマニアであるタレント、ブレーメン大島氏が「その後の艶姿」を以下、一気に振り返る。
「おニャン子は2年半の活動で、その幕を閉じました。彼女たちには順に会員番号がつけられ、50人以上がデビューしています」
87年8月31日に「夕やけニャンニャン」(フジテレビ系)が終了すると、メンバーはソロで活動する者と、そのまま引退する者に二分された。
今なおバラエティー番組やドラマで活躍する国生さゆりは、91年のドラマ「しゃぼん玉」(フジ系)でアッと驚く姿を見せた。
「初回の冒頭に、主演の長渕剛とのベッドシーンを見せてくれました」というブレーメン氏によれば、「長渕が国生の体にマヨネーズを塗りたくり」、地上波と思えないほど生々しい不貞の営みだったという。
実際、共演を機に不貞関係となり、志穂美悦子夫人の目の前で別れを宣言したことが長渕の口から明かされた。そうした背景を含めて、あらためてシーンを検証してみると、
「こちらがイメージしていた国生という期待に応えてくれましたね。それほど濃厚かつリアルなシーンでした」
国生は会員番号8番で初期のエース格だが、中興の祖となったのが29番の渡辺美奈代だ。
「わかりやすく王道アイドルのかわいらしい顔だち。番組後期の人気を支えた功労者です」
そして解散後、何度となく写真集を出し、ナマヒップを見せるなどギリギリの線まで攻めた。ただし、と前置きして、ブレーメン氏は「渡辺満里奈や工藤静香と並んで、後期メンバーではメジャーな存在」だとして、それゆえに「寸止め脱ぎ」が続いたのかもしれないと推測しつつ「一度はズバッといってほしかった気もします」と語った。
さて、おニャン子の記念すべき「会員番号1番」を与えられたのは奥田美香。ところが、喫煙写真が週刊誌に掲載され、わずか3週間で番組を降板。
そして88年、奥田は「準ミスプレイボーイジャパン」に選出され、元メンバー初のフル脱ぎを披露することになる。
90年代に入ると、後期メンバーや中学生予備軍の「おニャン子B組」から脱ぎ披露が相次いだ。ブレーメン氏によれば、わずか1日しか在籍しなかった37番・大貫かおりは、いきなりハードな変則プレイ的な脱ぎ披露したが、在籍期間から見ても「おニャン子の脱ぎ」にカウントしていいのか意見が分かれるところだとか。B組5番の山崎真由美についても「移籍したイエローキャブで細川ふみえらとトリオを組んだ印象のほうが強い」として、フル脱ぎは何度も見せたものの、「おニャン子のイメージはあまりありません」という。
むしろブレーメン氏は、B組1番の吉見美津子が脱いだことに衝撃を覚えたという。「解散時の最年少で、B組では一番の人気でした」といい、まだ“巨胸信仰”がなかった時代に、スレンダーな体型と整った顔だちの脱ぎ姿は、アイドルファンにとって「理想とする形でした」という。
時代の熱狂がうかがえる。